おはようございます。
先週からの続きで、他力本願の話を書きたいと思います。
まずは、先週途中でした、三学(さんがく)について紹介します。
仏教徒が修めるべきものとして、
戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の「三学」というものがあります。
戒とは、いましめ。決められたルールを守ること。
定とは、精神集中。
慧とは、真理を悟る知恵のこと。
当時、比叡山にて、最もすぐれていると言われていた法然上人は、
「私は、このうちの1つもまともにできない」とおっしゃいました。
仮にも、比叡山で毎日修行をしている私でも
三学のうちの1つもまともにできないのだから、
日々生活、仕事に追われている人たちに
三学を実践しなさい、と言っても難しいのではないか。
そう思われた法然上人は、
誰もが救われる方法を探し始めました。
そこで最終的に発見されたのが、お念仏。
自力で悟るのではなく、
仏さまのお力によって、悟りに至ろうという考え方です。
自力ではなく、他力。
それは、自分の力を過信することなく、
仏さま(法然上人の浄土宗の場合は阿弥陀仏)
にすべてをお任せするということ。
つまり、誰でも。
体が弱くても、意志が弱くても、
子どもでも、老人でも、
悟りに至れるのだ、ということをお示しになったのです。
反対に、
「私には生きている価値がない」
というのも、自力による考え方です。
他力(仏さまの力)は、
私たちの能力など問題にしません。
他力本願、他力を頼むのですから、
私たちがすぐれている・劣っている
という考えがそもそも不要だということになります。
私たち人間は、仏さま
(宗教に抵抗がある方は「自然」や「大自然」
と言い換えてもいいと思います)には、かなわない。
人間どうしの能力の差なんて微々たるものですから、
慢心を持ったり、必要以上に自分をさげすんではいけません。
それが他力本願の考え方だと思っています。