おはようございます。
先週はお彼岸に急な法務が重なってしまい、
お休みさせていただきました。
また今週からどうぞよろしくお願いします。
もしかすると、以前にも似た内容を書いたかもしれませんが、
今日は「毒矢のたとえ」について書きたいとおもいます。
お釈迦さまに新入りの弟子が
死後の世界や輪廻転生(りんねてんしょう)について
詳しく詳しく訪ねた物がおりました。
お釈迦さまは、対機説法(たいきせっぽう)と言い、
その弟子ごとに、合った説法をされていましたが、
死後の世界については多くを語られませんでした。
しかし、その弟子の質問に対しては、
次のような「毒矢のたとえ」で諭されたといいます。
毒矢に射られた男がいる。
そこへ医者がかけつけて、矢を抜こうとした。
だが、男は頑固者で、こう言った。
「矢を抜いてはいけない。
抜く前に、それを射た者が、
誰で、何の目的で私を射たのか、
またその弓はどんな素材でできていたのか、
そしてどんな種類の毒が塗られていたのか、
すべてはっきりしないうちは矢を抜いて治療してはいけない。」
こんな頑固者に出会ったらどう思うか?
はい、先に矢を抜かなければいけません。
そうしないと、何も知らないうちに死んでしまいますから。
このたとえは、2つのことを示しています。
1つは、お釈迦さまはこの世は苦だと言われています。
この世こそが毒矢であり、
その後(死後)どうなるかを考える前に、
現在、この世の苦(毒矢)を取り除くことが先決だということ。
もう1つは、苦からのがれ、さとりを得るための修行は、
(仏教を)すべて知って、理解してから行うものではないということ。
知って理解してから行おうとすれば、理解できないうちに
人生は終わってしまう、ということです。
前者の理解は、
【死んだらどうなるか】とらわれている人に向けて
よくお伝えします。
仏教は決して死にまつわるものではなく、
よりよい生き方を教えるものです。
後者の理解は、今風に言うと、
【目の前のことからまずはやってみる】
ということではないでしょうか。
少しかみ砕いて言い過ぎているかもしれませんが、
すべてを理解してから動くのではなく、
行動しながら考えていくことが、
ものごとを早く進める秘訣ではないかなとおもいます。