みなさん、おはようございます。
いつも、こうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」
にお目を通してくださり、ありがとうございます。
「お経」とは、お釈迦さまの教えを弟子がまとめたものですが、
八万四千の法門といい、数え切れないほど伝わり残っています。
今日はその中から『百喩経(ひゃくゆきょう)』といい、
短かな「たとえ話」が100話(実際には98なのですが)
収録されたお経のうちから、エピソードを1つ紹介します。
ある夏のこと。この日は大変暑くて、
熱中症になりそうな人が多くいました。
ある人も、のどがカラカラでふらふらと歩いています。
「あそこに水があるぞ!
・・・いや、かげろうで景色が揺れているだけだ。」
そんなことを繰り返しながらも歩いていると、
本当に川を見つけました。
でもこの人は、川の水を飲もうとしません。
となりにいた人が聞きました。
「とてものどが渇いているんですよね、
どうして水を飲まないのですか?」
「いや、飲みたいのですが、
これは多すぎて飲みきれません。
だから飲まないのです。」
『百喩経』巻第一 五 「渇見水喩」
(直訳ではなくすこし改変しています)
ばかな話に聞こえますが、このようなことは多くあります。
あの人にはどうせ何か言ってもムダだから一切話さないでおこう。
この分野には興味があるけれど、
どうせ難しいから本を読むのもやめよう。
部屋を片付けたいけれど、あと3時間では終わらないからやめよう。
仏教では完璧主義はあまり勧めないのです。
すこしでも状況がよくなることがあるのなら
それはやってみるべきことなのでしょう。