いつもこうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」に
目を通してくださり、ありがとうございます。
毎日、異常なほどの暑さ(熱さと書きたいほどです)が
続いております。熱中症に注意してお過ごしください。
恒例のお盆の季節になってきました。
私たち僧侶も、本当に熱中症を恐れる時期です。
黒い衣帯を着てお盆まいりをまわりますので
余計に暑いように思います。
毎年のことですが、年々暑くなっているように感じます。
先週末、早朝から暑かったのですが
お盆前にお墓の掃除をし、
歴代住職のお墓にも挨拶をしました。
その日の夜、普段は明けない棚がすごく目につき
おそらく何年かぶりになるのですが
開けてみると、おもむろに1冊の本がありました。
小さな岩波文庫の文庫本でしたが
『選択本願念仏集』
(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)
という本です。
私の所属する宗派の開祖である
法然上人(ほうねんしょうにん)が
教えをまとめられた本です。
ふだん、不勉強な私に
歴代住職よりのお叱りかと感じ
その日以来(まだ4日目ですが・・・)
毎日、すこしずつ再読しております。
法然上人は、それまでどちらかというと
貴族や豪族のためのものであった仏教を
民衆に広めた、革命者と言われています。
読み進めていくと
(岩波文庫のものは、古語の書き下し文なので
私の頭では非常に時間がかかります・・・)
それなりに、修行時代に勉強したことが
よみがえります。
当時はただ暗記をさせられた内容や
知っていて当然のように教えられた仏教語、
試験をクリアするために覚えた文章
など、文脈のなかでたくさんの再発見がありました。
こう使っているけど、こういう意味もあったんだ
こう言っていたけど、この本にあった内容なんだ
というような感じです。
学生時代、一次資料をあたれとよく教えられました。
二次資料以降だと、引用した人の意図が
どうしても入ってしまうからです。
同じで、うわさがうわさを呼ぶといいますが
あの人がこう言っていたよ、という話は
うのみにするとあぶないことがあります。
意識してかしなくてかわかりませんが
あいだに入る人の考えが反映されてしまうからですね。
そしてさらに考えると
世の中のできごとを「見る」だけでも同じことが起こります。
世の中のできごとを「ありのままに見る」のは難しく
どうしても、「私」の価値観が入ってしまいます。
最初から色眼鏡をかけた状態になってしまい
自分の過去の経験から
こういうことだろう と判断してしまいがちです。
ふせぐには、自分が「色眼鏡をかけている」ということを
意識することがひとつの方法だと思います。
一歩立ち止まって「本当にそうなのか」と考えてみることで
すこし、正しいものの見方に近づくことができるのでは
とおもいます。
繰り返すうちに、自分のかけている色眼鏡の「色」
に気づくことができます。
・この話の時にネガティブになってしまう気がする
・この話になればちょっと調子に乗ってしまう気がする
そういったことに気づければ
すこし、生きやすくなったりします。
私も「お盆」と聞くと
ご先祖のことと同時に、「暑い」「しんどい」
と思いが正直浮かんできてしまうのですが
できるだけ、フラットな新鮮な気持ちで
お盆まいりに向かいたいとおもっております。