おはようございます。
先週から「八正道」の話をはじめています。
今日はその第一、「正見」について
「正見(しょうけん)」とは、
ものごとを正しく見なさい、偏見なく見なさいということです。
フィルターや色眼鏡をかけず、あるがままを見る。
偏見や先入観、好き嫌いの感情なしに見ることをいいます。
その際には、われわれが、また世の中が、
常識だ、当然だと思っていることがあっても、
それをうのみにせず、
本当に正しいといえるのか、
立ち止まって考えてみるべきだということもいえます。
たとえば戦時中の日本では、
「富国強兵」が教育されたり、
「治安維持法」によって言論の自由がないがゆえに、
戦争で相手国の兵士を殺すことが正しいことだと
考える人も多かったといいます。
それが世の中の「常識」であったとしても、
それは正見とはとてもいえません。
また、すべてのものごとは、無常(移り変わっていること)
だということを理解した上で、ものを見なさい、
ということも「正見」ではよく言われます。
たとえば、昨日できなかったことが、今日もできないとは限らないので、
常に新鮮な目で、ものごとを見なければいけません。
最後に、「ものごとを偏見なく見なさい」ということを
あらわした言葉はないかと考えてみましたが、
たとえば、「人を見かけで判断しない」
という教えなどは、まさに正見の考え方ではないかと思います。