おはようございます。
いつもブログ「お坊さんの1分説法」をお読みいただき
ありがとうございます。
今日は、以前にも紹介していますが、
「一水四見(いっすいしけん)」
ということばを再度取り上げたいと思います。
「一水四見」とは、同じ水でも、見方によって4通りに見える
という意味のことばです。
水とは、人間にとっては、飲むものですが、
魚にとっては、住み処であり、
天女にとっては、自分を映す鏡のように見え、
餓鬼にとっては、飲もうとした瞬間、火に変わる苦しみを生むものです。
(餓鬼の世では、なにかを口にしようとすると、
火に変わってしまい口にできないと言われています。)
同じものでも、見る者にとって感じ方は全く違う、ということです。
仏教では、ものごとは「あるがまま」に見ないといけない
のですが、これがまた難しいのです。
自分がこうだと思っていることは、
他の人から見ると、まったく違うように考えられている
ということはよくあることです。
人はどうしても、それまで育った環境などで
「色眼鏡」をかけて、世の中を見てしまうのです。
例えば、白い紙があっても、
青の眼鏡をかけて見ると、
青の紙に見えるわけです。
そこに、赤い眼鏡をかけた人が来て、話をしても、
当然かみ合いません。
その、色眼鏡を外すのは難しいですが、
ポイントとなるのは、
「自分がどんな眼鏡をかけているのかを知っておくこと」
だと思います。
自分は「青の眼鏡」をかけている。
だから、「この青はもしかしたら白かもしれない」
という意識をもっておくことで、
どんな文化で育った方とも
同じ土俵で話ができるようになるのではないでしょうか。