心の持ちよう
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
みなさん、おはようございます。
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前回、『百喩経(ひゃくゆきょう)』というお経をもとに、
すこしでも状況がよくなることがあるのなら
それは「やってみる」べきだということを書きました。
そして、どうせ「やってみる」のなら、
心の持ちようも大事であると思います。
今日は、日本の整体師として有名であった
野口晴哉(のぐちはるちか)さんのことばを紹介します。
雪の山道を重荷を負うて登ることは苦しいが、
その雪の山道を楽しんで登る人もある。
その人々はスキーの道具を軽々と肩にしてゆく。
だから苦しい楽しいは心にある。
働かされることは辛いが、
働いていることは楽しい。
だから働かされているつもりにならないで、
自発的に働くことが肝腎である。
冷たい水でも、浴びせられれば風邪をひくが、
自発的に浴びれば、風邪をひかない。
めしでも食えなければ餓死するが、
食わなければ断食して丈夫になる。
まず自分から動くことだ。
自分から出発することだ。
2021-02-23 08:00:00
水を飲みたいけれど・・・
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
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「お経」とは、お釈迦さまの教えを弟子がまとめたものですが、
八万四千の法門といい、数え切れないほど伝わり残っています。
今日はその中から『百喩経(ひゃくゆきょう)』といい、
短かな「たとえ話」が100話(実際には98なのですが)
収録されたお経のうちから、エピソードを1つ紹介します。
ある夏のこと。この日は大変暑くて、
熱中症になりそうな人が多くいました。
ある人も、のどがカラカラでふらふらと歩いています。
「あそこに水があるぞ!
・・・いや、かげろうで景色が揺れているだけだ。」
そんなことを繰り返しながらも歩いていると、
本当に川を見つけました。
でもこの人は、川の水を飲もうとしません。
となりにいた人が聞きました。
「とてものどが渇いているんですよね、
どうして水を飲まないのですか?」
「いや、飲みたいのですが、
これは多すぎて飲みきれません。
だから飲まないのです。」
『百喩経』巻第一 五 「渇見水喩」
(直訳ではなくすこし改変しています)
ばかな話に聞こえますが、このようなことは多くあります。
あの人にはどうせ何か言ってもムダだから一切話さないでおこう。
この分野には興味があるけれど、
どうせ難しいから本を読むのもやめよう。
部屋を片付けたいけれど、あと3時間では終わらないからやめよう。
仏教では完璧主義はあまり勧めないのです。
すこしでも状況がよくなることがあるのなら
それはやってみるべきことなのでしょう。
2021-01-26 08:00:00
本年もよろしくお願いします
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
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本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、関西にも緊急事態宣言が明日にも再発令されようとしているようです。
こんな時には、より一層相手を思いやる気持ちが大切ではないか
と年末書かせていただきました。
それぞれの立場のちがいはあるけれども、
それぞれを尊重し、思いやり、生きていくべき。
今日は、大変有名なものではありますが、
そんな気持ちにさせてくれる、
詩人、金子みすゞさんの詩を改めて紹介したいと思います。
「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
2021-01-12 08:00:00
猿沢池
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
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今日は、このブログでも1~2回は書かせていただいているかとは
思いますが、奈良公園の近くにある「猿沢池(さるさわのいけ)」に
まつわる歌を紹介します。
詠み人知らずで、似たものもありますが、
ここではこちらを紹介します。
「手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池」
パンと手を打てば、
女将さんは、呼ばれたと思い「はいと答える」
鳥は、鉄砲かなにかで撃たれたと思い「逃げる」
鯉は、エサをもらえるのかと思い「集まる」
同じ現象でも、受け取り手によって全然ちがうということです。
たとえば今日をとりまく状況の中にあっても、
医療業界にいる人、同居の親が高齢である人、
観光業の人、飲食店を経営する人、
それぞれによって受け取り方がちがうのは当然で
自分の考えだけが正しいわけではない、ということを
一歩立ち止まって考えるだけでも
建設的な議論ができたり、
相手を思いやることにつながるのではないでしょうか。
2020-11-24 08:00:00
めでたいこと
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
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今日は、仙厓(せんがい)和尚という禅僧のことばを紹介します。
ある年の正月、その地域の役人が、仙厓和尚の元を訪れ、
「新年なので、なにかめでたいことを書いてくれませんか。」
とお願いしました。
すると、仙厓和尚はこう書いたのです。
「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」
その役人は怒り出し、
「めでたいことをと頼んだのに、縁起でもない。なんということだ。」
と言うと、仙厓和尚は
「そうかなあ、子より先に孫が先立ったり
親より先に子が先立ったりすることがなく
家に若くして亡くなる人が出ないほどめでたいことがあるかのう。」
と言いました。
役人は意味を聞き、
「その通り、こんなにめでたいことはないです。」
と喜んで帰ったという逸話があります。
私たちはついつい、日頃のめでたいこと、ありがたいことを
見過ごしがちです。
たとえばコロナ禍の今、
当然、世間には感染されて大変な思いをされた方や犠牲者もおられます。
これまで通りの日々を過ごせなくなった方もおられます。
もし、これまでと大きく変わらず働けていたり
日常を過ごせているとしたら、それだけで
こんなにめでたくありがたいことはないのだと思います。
2020-11-10 08:00:00