おはようございます。
いつもこうしん堂ブログをお読みくださりありがとうございます。
前回、法然(ほうねん)上人のことを書きました。
その中で、それまでは貴族のものだった仏教を
みんな(庶民)のものに転換された、ということを書きました。
貴族のものという書き方の中に
「仏塔を建てたら」というような例えしか書きませんでしたが
それ以外にも、それまでの仏教は
「自分の身を厳しく律して、煩悩をなくす」ことが
重要とされていました。
法然上人は、いくら修行を積んでも「人間なのだから」
本当に煩悩をまったくなくすことなんて非常に難しい(≒できない)
のではないか、という立場をとったという意味でも
革命者と言われています。
有名な『徒然草(つれづれぐさ)』の中に次のような文章が
残っています。(第39段)
ある人が、法然上人に
「私は極楽往生を求めて念仏行に励もうとしているのですが
どうしても念仏中に眠くなってしまいます。どうすればこの
眠気を払い、念仏行に集中できるでしょうか。」と尋ねると
法然上人は「(眠くなったら寝て)目が覚めたら念仏なさい。」
とおっしゃった。実に尊いことだ。
『徒然草』を書かれた兼好法師も、法然上人のおおらかさに
魅了されたのでしょう。
仏教は難しく崇高なものだった部分があるのを、
この法然上人の教えであると「自分にもできるかも」と
思った人々が当時多かったようです。
そういった意味でも、仏教をだれにでも開かれたものに
転換された、ということができるとおもいます。
私たちも、ものごとの本質を見極めることで
細かいこと(=実は、そう重要ではないこと)を気にせず
おおらかにものごとに取り組んでいきたいものですね。