コロナウイルス第7波
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
いつもこうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」を
お読みいただきありがとうございます。
コロナウイルスの第7波が猛威をふるっています。
感染の拡大、医療崩壊の懸念など、心配ごとは尽きませんが
最近、より感じるのは、人によっての「価値観の違い」です。
特にこのコロナウイルスに関しては
顕著に考え方の違いが現れているように思います。
極端に言うと、ですが
「コロナウイルスは怖い、
とにかく自分や大事な人に感染してほしくない」
という人と
「コロナウイルスは風邪の一種だ、かかったってたいしたことはない、
世の中は騒ぎすぎだ」
という人。
どちらにも、そう考える背景や理由があるので
一概に完全に否定することはできないのですが
コロナウイルスに対する考え方が原因で
ご家庭が不仲になったり、離縁に至ったり、という話も
時たま聞こえるようになってきました。
当然、命、健康を脅かすものとしての怖さはありますが
私たちの不和を巻き起こすという意味では
これも新たなウイルスの怖さだと言わざるを得ません。
ただし、こちらには(こちらにも)対処法があります。
相手の立場、そう考えた背景を「想像」すること。
考え方のちがうあの方には、なにかのきっかけがあって
そう考えるようになったんだ、と考えることです。
たとえば、過度に怖れている(ように見える)人は
過去に病気などで、大切な人を失ったことのある人かもしれません。
コロナウイルスなんて気にせず、経済を回せばいいんだ
という人は、身内に会社が倒産して生活が苦しく困窮した人がいる
のかもしれません。
すこし極端ですが
背景を想像(正しくなくても構いません)してみるだけで
少なくとも私たちを分断する「敵意」はすこし
和らぐのではないでしょうか。
マスクと熱中症の問題が気になる季節になってきました。
みなさん健康に留意され、よい夏休み、お盆をお過ごしください。
2022-08-02 08:00:00
みんなちがって・・・
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
いつもこうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」を
お読みいただきありがとうございます。
前回、『阿弥陀経』の一節(青色青光・・・)を紹介しましたが
「多様性を認め合う」ことが大切と最後に書かせていただきました。
これはなかなか簡単には進まないこともあるかとは思いますが、
世界的に、意識は向けられつつあるように感じます。
SDGsの17項目の5番目にも
「ジェンダー平等を実現しよう」とあります。
(その他項目にもいえるところはありますが)
日本でも、近年の赤ちゃんの名づけランキングを見ると
ジェンダーフリーな、ジェンダーレスな名前が多いようです。
(具体的には検索してみてください)
みんな違うからこそお互いに尊重し、よりよい世界をつくっていく。
このことが、たとえばお子さまにも
とてもイメージしやすいと思える詩があります。
大変有名な、教科書にも載るもので恐縮ですが
青色青光・・・の話をさせていただく時に
どうしても紹介したくなり、今回も、金子みすゞさんの
『私と小鳥と鈴と』を載せさせていただきます。
十分ご存知と思いますが、「多様性を認め合う」ことに思いをはせて
もう一度味わってみていただければ幸いです。
『私と小鳥と鈴と』 金子みすゞ
私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように
地面(じべた)を速くは走れない
私がからだをゆすっても
きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ
鈴と 小鳥と それから私
みんなちがって みんないい
2022-06-28 08:00:00
青色青光
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
いつもこうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」を
お読みいただきありがとうございます。
今日は、私たちがいつもお唱えするお経『阿弥陀経』の一節を紹介したいと思います。
・・・池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黃光 赤色赤光 白色白光・・・
・・・ちちゅうれんげ だいにょしゃりん
しょうしきしょうこう おうしきおうこう
しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう・・・
これは、『阿弥陀経』のなかで、極楽浄土のありさまを説いた部分に出てきます。
池中蓮華 池の中の蓮の花は
大如車輪 大きさは車輪のようで
青色青光 青いもの(花)は青く光り
黄色黄光 黄色いものは黄色く光り
赤色赤光 赤いものは赤く光り
白色白光 白いものは白く光っている
という意味です。
理想の世界である極楽浄土では
「それぞれが、ありのままで、輝いている」ことを示します。
最近でこそ、多様性を認めようという考えが一般的になりつつありますが
何千年も前からこのように説かれているのは、やはり真理を示されているように
考えさせられます。
社会においても教育現場においても家庭においても
型にはめようとするのではなく、個性、多様性を認め合い
それぞれが「自分らしさ」を存分に発揮できる世の中になってほしいものですし
実現に向け、私たちもできることはしないといけないなと思わせてくれる
お経の一節でした。
2022-05-31 08:00:00
お大師さまのおことば
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
いつもこうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」を
お読みいただきありがとうございます。
先日、京都の真言宗総本山、東寺を参拝してまいりました。
お大師さま(弘法大師=空海)の今月のおことばとして
こんなことばが紹介されていました。
「珠(たま)を持てば善念を生じ、
剣を把(と)れば殺心(せっしん)の器。」
人間、気づいていないようでも、環境や、かかわる人、
日々口にする、また耳にすることばに
多大な影響を受けて暮らしています。
ずっとニコニコしている人といると心にゆとりができたり
その反対のこともあります。
また極論、戦争中では、穏やかにいるのはかなり難しいことです。
よいものに触れる時間をできるだけ増やすことも大切です。
それは人によっては読書であったり、森林浴であったり
するかもしれません。
人はみな、影響を与え合って生きているので、
よいふるまいのできている方と接する時間を増やすことも
人生を好転させるきっかけであったりします。
わたしのいつもお話させていただくことのひとつ、
「和顔愛語(わげんあいご)」を身につけることも
この前者のサイクルに入る、ひとつの方法であると思います。
日々、どういった時間を過ごしていることが多いか
一度振り返ってみていただければと幸いです。
2022-04-26 08:00:00
生死
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
いつもこうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」を
お読みいただきありがとうございます。
前回、「執着しないこと」が大事という話を書かせていただきました。
これは頭でわかっていてもなかなか難しいことで、
「苦しみ」から逃れるためには、
あらゆることに「執着しない」ことが必要です。
極論、「生」(生きること)にも執着しないことになります。
「死」を前にして苦しみを感じるのは、生に執着しているから。
ただし、命を粗末にするのとはちがいます。
念仏の元祖である、法然(ほうねん)上人のことばに
「いけらば念仏の功つもり しなば浄土へまいりなん
とてもかくても この身には 思いわずろう事ぞなきと思いぬれば、
死生(ししょう)ともにわずらいなし」
ということばがあります。
「死生(ししょう)ともにわずらいなし」
という理想の状態になるには
(この場合)亡くなったとしてもお浄土に行けるという確信があると
不安なく人生を送れるということだと思います。
そのためには、毎日、今、ここを、全力で悔いなく
生きなければいけません。
寿命が来たとき「生ききった」と思えるように
自分なりに一生懸命に生きることが
生への執着からすこし離れ、死への恐怖からすこしだけ
離れることのできる方法であると思っています。
すこし難しい話になってしまいましたが、
毎日を大切に過ごすことがいかに大事であるのか
考えていただくきっかけのひとつになればと
みじかいですが書かせていただきました。
2022-03-15 08:00:00