弱者に寄り添う社会
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもブログ「お坊さんの1分説法」をお読みいただき
ありがとうございます。
今日は、ここで書かせていただくにふさわしくないかと正直思いつつ、
また完全に私見になりますが、
先日の京都アニメーション放火事件に対する
犠牲者の実名報道について、
個人の意見を少しだけ書かせていただこうかと思います。
一部の遺族が反対をしている中で、
実名報道がなされたことは本当に理解しがたく、
遺族の方がいかに苦しんでいらっしゃるかを想像することもできない
この国のマスコミの在り方に憤りを感じています。
実名報道の意義、ということについても
一部新聞には書かれていましたが、
遺族の苦しみよりも優先されるべきことではないはずです。
百歩譲ってそういう報道をするにしても、
遺族の方の悲しみは簡単に癒えるはずがなく、
時期尚早だと思います。
実名を公開されたことにより、
今後さらにマスコミに追われる遺族だって出てくるかもしれないのです。
すでに大切な人を失って、想像もできない苦しみにある遺族を
心ない取材等でさらに苦しめることになりかねないのです。
それぞれの考え方がある中で、
語弊を生むかもしれない意見を述べることにもなりかねませんが、
今回に限り、思ったことを書かせていただきました。
どうか弱者(今、困っている人)に寄り添う社会であってほしいと思います。
2019-09-03 09:06:00
グリーフケア
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもブログ「お坊さんの1分説法」をお読みいただき
ありがとうございます。
以前にも一度書きましたが、
最近、「グリーフケア」というものを学んでいます。
「グリーフ」とは、死別や離別による深い哀しみのことです。
また、そのような深い悲しみや嘆きを抱え、
生きづらくなっている状態のことをいいます。
「グリーフケア」とは、そのような方々が
すこしでも前を向けるよう支援することです。
お坊さんという職業上、
最も知っておかなければいけないことの一つだと思い、
最近、体系的に学ぶ機会をもつようにしています。
ご縁があって、私が学ばせていただいているのが、
「日本グリーフ専門士協会」という団体です。
もちろん、お坊さん等、職業上かかわる方でなくても、
誰しもが大切な人との別れを経験するわけですから、
知っておいた方がいいと感じることがたくさんありました。
(今後私も、大事に感じたことを折に触れて紹介させていただきますが、
とり急ぎご興味のある方は「日本グリーフ専門士協会」と
検索してみてください。Webで受けられる無料の入門講座もあります。)
さて、暑さも厳しくなり、もうすぐお盆がやってきます。
お盆は、亡くなった大切な人が、年に一度
こちらの世界に帰ってくることのできる期間だとされています。
今年は微力ながらグリーフケアの視点をもちながら
お盆参りに励みたいと思っています。
2019-07-30 08:00:00
もうすぐお盆です
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもブログ「お坊さんの1分説法」をお読みいただき
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もうすぐお盆ですので、
(関東等は七月盆ですが)
今日は「お盆」について
お話させていただこうと思います。
以前にも書かせていただいておりますが、
お盆とは、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略です。
「盂蘭盆会」とは、
お釈迦さまの十六弟子の一人に、
目蓮(もくれん)尊者という方がいました。
目蓮は、「神通第一(じんづうだいいち)」と呼ばれ、
「神通力(じんづうりき=不思議な力)」と言い、
例えば、遠くの世界を見渡せる力などを持っておられました。
その神通力を使って、亡くなった自分の母親が
今、どの世界にいるのかと姿を探してみると、
なんと餓鬼道(がきどう)で苦しんでいたのです。
目蓮は、なんとか母親を救い出したい、と
お釈迦さまに方法をたずねます。
お釈迦さまは、
各地のお坊さんたちが雨期の3か月が明けた
7月15日に集まるから、その場で
修行を終えた僧に施しをしなさい、
とおっしゃいました。
目蓮尊者が、お釈迦さまのおっしゃる通り
修行を終えた僧たちに供養をしたのが、
お盆のはじまりであります。
インドから、中国、日本へと伝わる中で、
先祖供養の意味合いが加えられ、
今では、先祖供養が第一となっていますね。
旧暦の7月15日ということで、
関西では、主に8月13日~15日が
お盆とされています。
ご先祖さまをお迎えし、
自分自身の生き方も振り返る期間に
していただけますといいのではないかと思います。
2019-07-16 08:00:00
色眼鏡
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもブログ「お坊さんの1分説法」をお読みいただき
ありがとうございます。
今日は、以前にも紹介していますが、
「一水四見(いっすいしけん)」
ということばを再度取り上げたいと思います。
「一水四見」とは、同じ水でも、見方によって4通りに見える
という意味のことばです。
水とは、人間にとっては、飲むものですが、
魚にとっては、住み処であり、
天女にとっては、自分を映す鏡のように見え、
餓鬼にとっては、飲もうとした瞬間、火に変わる苦しみを生むものです。
(餓鬼の世では、なにかを口にしようとすると、
火に変わってしまい口にできないと言われています。)
同じものでも、見る者にとって感じ方は全く違う、ということです。
仏教では、ものごとは「あるがまま」に見ないといけない
のですが、これがまた難しいのです。
自分がこうだと思っていることは、
他の人から見ると、まったく違うように考えられている
ということはよくあることです。
人はどうしても、それまで育った環境などで
「色眼鏡」をかけて、世の中を見てしまうのです。
例えば、白い紙があっても、
青の眼鏡をかけて見ると、
青の紙に見えるわけです。
そこに、赤い眼鏡をかけた人が来て、話をしても、
当然かみ合いません。
その、色眼鏡を外すのは難しいですが、
ポイントとなるのは、
「自分がどんな眼鏡をかけているのかを知っておくこと」
だと思います。
自分は「青の眼鏡」をかけている。
だから、「この青はもしかしたら白かもしれない」
という意識をもっておくことで、
どんな文化で育った方とも
同じ土俵で話ができるようになるのではないでしょうか。
2019-07-02 07:04:25
自分の方が賢いのだ
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもブログ「お坊さんの1分説法」をお読みいただき
ありがとうございます。
今日は、ひとこと、
『法句経(ほっくきょう)』というお経に登場する
一文を紹介しようと思います。
「わが愚かさを悲しむ人あり。この人すでに愚者にあらず。
自らを知らずして、賢しと称するは愚中の愚なり。」
そのままですが訳してみると、
「自分の愚かさを悲しんでいる人がいる。
その人はすでに、愚か者ではない。
自分のことを客観的に見れずに、
私は賢いと言っている人こそが愚か者である。」
という意味です。
人はつい油断すると、
周りの人よりも自分が賢いと思ってしまいがちです。
大事なのは、そうではなく、自らの愚かさに気づくこと。
自らがどうしようもない存在であると認識することによって、
日々努力しよう、少しでも向上しようと思えるのだと思います。
自分が一番賢いのだ、と思っていると成長がありませんね。
この、まわりよりも自分が賢いように感じてしまう、
というのは、
人間誰しもが陥ってしまいやすい「バイアス」(=偏見、先入観)
だそうですので、
私自身もそうですし、お読みいただいているみなさんにも
ぜひ気をつけていただきたいことの一つだなと思います。
2019-06-11 07:46:36