青い花は青く
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
6月のことば
「青い花は 青く
赤い花は 赤く
花は
自分らしく 咲く」

(毎度つたない筆で恐縮です)
いつもこうしん堂ブログをお読みくださりありがとうございます。火曜日には「お坊さんの1分説法」を公開していますのでときどき目を通していただけると幸いです。6月は
こちらのブログでも何回か紹介させていただいている
『阿弥陀経』に出てくる一文
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
を出典としたことばにさせていただきました。
青い花は、青く咲いて輝いています。
むりに(まわりに合わせて)赤く咲いたり
黄色く咲いたりする必要はないのです。
最近、保育の現場でも、この一文が
よく紹介されるようになってきています。
こどもさんが、みんなと同じことができない
というお悩みを聞かせていただくことがありますが
みんなそれぞれに輝いておられるので
まずは、そのままの輝きを認めてさしあげること。
だいじなことであるとおもいます。
また、大人でも同じことがいえると思います。
自分らしく輝けばいい。
SDGsでもうたわれていますが
多様性が認められる世界へ
すこしでも近づけばいいなという思いで
今月はこんなことばを書かせていただきました。
2024-06-18 08:00:00
新緑の輝き
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
5月のことば「新緑の葉に
表と裏があるように
かげの支えで
世界は輝く」
(今回より画像を載せさせていただきました。
つたない字で恐縮ですが、このように薬局入り口に
貼らせていただいています。)
いつもこうしん堂ブログをお読みくださりありがとうございます。火曜日には「お坊さんの1分説法」を公開していますのでときどき目を通していただけると幸いです。5月、新緑が目にまぶしい季節になってきました。
見るとすがすがしい気分になります。
葉に目をやると、
当然ですが表と裏があり
裏側には脈が走り、栄養を届けています。
みえないところで支えてくれているから
みえないところでがんばっているから
表の輝きがあるんだとわかります。
私たちが生きるこの世の中も
そのように成り立っているんだなあとおもい、
5月のことばにさせていただきました。
2024-05-21 08:00:00
仏教「超入門」のおはなし(2)
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもこうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」を
お読みくださりありがとうございます。
楽しみにしていた桜の季節も過ぎ
一気にあたたかくなってきましたね。
日中は暑いくらいでびっくりしています。
寒暖差が厳しい時節ですので
引き続き体調管理にはお気をつけください。
前回「仏教の入門講座」のような内容として
「仏教とはなにか」という話を簡単にかきました。
(1月のブログ参照)
続きとして今日は
仏教の根本原理とよばれる「三宝印(さんぼういん)」
についてかきます。
仏教には「三宝印」といい、
根本的な3つの教えがあります。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
「諸法無我(しょほうむが)」
「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」
の3つです。
「諸行無常」とは
よく聞くことばだと思います。
「すべてのものはうつりかわる」という意味です。
国が栄えれば、いつかすたれていく。
そのようなことは歴史が教えてくれますが
常に一定のものというものはなにもない
ということを表します。
「諸法無我」とは
すべてのものは、私のものではない
という意味です。
自分自身のものと信じて疑わない自分自身の体でも
なりたくもない病気になったり、
とりたくもない年をとったりします。
ましてや家族や友人であっても他の人など当然で、
自分の思い通りになるものなど、この世にはない
ということを表します。
その2つを体得し、
それらを中心とする、仏教の教えが本当にわかった時
「涅槃寂静」、すべてを悟った状態になれる
ということです。
この3つ(「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」)を
「三宝印」といい、仏教の根本原理とされています。
(宗派、流派により「四宝印」等の言い方もします)
この「3」という数字と「7」という数字
(「7」についてはまた別でもくわしく記載します)
は仏教で重んじられており、
たとえば一周忌のあとは、三回忌、七回忌、
十三回忌、十七回忌、とつづくのは
ここからという説もあります。
「7」という数字については次回かきたいと
おもいますので、よろしくお願いします。
2024-04-23 08:00:00
そっと
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
4月のことば
「水は つかめません
そっと
つつむのです
すくうのです
人の心も また」
いつもこうしん堂ブログをお読みくださり
ありがとうございます。
火曜日には「お坊さんの1分説法」を公開していますので
ときどき目を通していただけると幸いです。
4月、あたらしい生活や
あたらしい人間関係のスタートに
こんなことばにさせていただきました。
学生のころ、仏教を習っていた先生のお寺に
掲示されていたもので
出典などはわからないのですが
いいことばだなと思いメモをしていたものです。
人前でお話をするときに「つかみ」が大切、
ともいいますが
それ以上に、やはり日々の関係で
寄り添うこと、寄り添って色んなことをすること
がいかに大切か
また、言うまでもなく
人と人との関係は、テクニックではなく
(もちろん勉強を否定するものではないです)
心からの行動かどうかがまずはだいじであることを
表現されているのだと受けとめています。
2024-04-09 14:47:27
ありがとうと伝えること
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
3月のことば
「いい日とは だれかに ありがとうと 伝えた日」
いつもこうしん堂ブログをお読みくださり
ありがとうございます。
火曜日には「お坊さんの1分説法」を公開していますので
ときどき目を通していただけると幸いです。
3月は卒業式シーズンでもあり
3月9日はサンキューの日だといいます。
「ありがとう」とはご存知のように
「有難う」と書きますが
「有る」ことが「難しい」、「有り難い」
という意味から来ています。
こちらのブログでも度々ご紹介していますが
お釈迦さまの説かれた教えのなかに
「盲亀浮木(もうきふぼく)」のたとえがあります。
この世に生き、仏教に出会えるということは
大海があり、目の見えない亀が泳いでいて
たまたま穴のあいた木が浮かんでいる
その亀がたまたま水面に浮かび上がった時に
顔がその木の穴にちょうどはまること
と同じくらい「有り難い」(=有ることが難しい、めったにない)
ことだという文脈です。
ここでは、仏教と出会えて、ということよりも
日々暮らせていることは
実は有り難いことなんだと気づくこと
日々当たり前のように顔を合わせる方が
やってくれていることも、
よくよく考えてみたら
上の、亀のたとえのように「有り難い」ことかもしれません。
私が僧侶になりたてのころ、
「お坊さんになにか聞いてみよう」という流れで
「どうしたら幸せになれますか?」
という質問を受けたことがありました。
まだ経験のなかった私には、直球な質問で
うまく答えられなかったことを覚えていますが
なにかお返事しないといけないという思いで
(内容的には)こんなことを答えました。
「1か月のあいだ、だれでもいいので
一日一回、人に『ありがとう』と伝えてみてください。
すると、ご自身のアンテナが
『ありがたい』こと、恵まれていることを
探し始めるのではないでしょうか。」
言おうとしたことがうまく伝えられたかどうかはわかりません。
また、その方に後日談を聞く機会もかないませんでした。
ただ、幸せのアンテナを育てることができると
こんなにいいことはないと、
今になってもそう思いますので
今月は、こんなひとことにさせていただきました。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
2024-03-05 08:00:00