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象は柱であり壁である

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもこうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」に
目を通していただき、ありがとうございます。

今日はインドに伝わる
「群盲(ぐんもう)象を撫(な)ず」
という話をご紹介します。
 
ある王様が目の見えない人たちに象を触らせてあげました。

初めて象に接した彼らに感想を聞いてみると、
耳を触った者は「象はうちわのような生きものだ」と言い、
足に触った者は「象は柱のようですね」と言い、
尻尾を触った者は「象はほうきみたいだ」と言い、
胴体に触れた者は「象というが、ただの壁じゃないか」と
とそれぞれが言い合って、
最終的に大げんかになってしまいました。
 
という話です。
 
もちろんこれは目が見える見えないの話ではなく、
ちまたによくある状態を表しています。
 
皆が(自分としては)正しいことを言っているのに
話が食い違ってしまって、
その結果対立が起こっています。
 
それは、だれもが、ある物事の一部しか知らないのに
全てを知っているかのように思ってしまうこと
が原因であったりします。
 
このインドに伝わる話は
「物事の一部を理解しただけで、すべてを理解した
と思い込んでしまうこと」の戒(いまし)めとして
語り継がれているのだと言われます。
 
人と意見が対立したときのことを考えてみましょう。
 
たとえば、お子さんのことで夫婦がもめている。
けれど、象(本当の目的)は
ご主人も奥さまも
「お子さんに幸せになってほしい」ことであることが多いです。
 
それぞれに仕入れた一部の情報(しっぽを撫でたりすること)
がすべて正しいように思い込み
(相手の言うようにするなんて子どものためにならないと)
けんかになっているだけかもしれません。
 
意見の対立があったときは一度立ち止まって
この「群盲象を撫ず」のお話を
思い返してみていただけると幸いです。
 
自分の意見は本当に全体(象)を捉えているだろうか。
また反対に、相手は象のどの部分を撫でて
そのような意見を言っているのだろうか。
 
一度立ち止まってこんなことを想像するだけで
すこし、相手の気持ちがわかったりするものではないでしょうか。
2023-07-04 08:00:00

10周年

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
いつもこうしん堂ブログ「お坊さんの1分説法」を
お読みいただきありがとうございます。
 
この6月に、こうしん堂薬局は10周年を迎えられ
まことにおめでとうございます。
 
ひとくちに10年といっても
日々の積み重ねを10年間やってこられたということで
尊いことだと思います。
 
今日は、こちらで以前にも一度書いたかもしれませんが
「三階建て」のお話を。
(『百喩経(ひゃくゆきょう)』というお経に出てくる話を
わかりやすくすこしアレンジしています。)
 
 
 
あるところに、一人の大金持ちがいました。
 
彼が、となり町の大金持ちに招待され、家に行ってみると
なんと、そのおうちは「三階建て」でした。
 
当時、そのあたりでは二階建ての建物ですらめずらしく、
彼は「三階建て」の建物がほしくなりました。
 
これまで彼は、なんでも自分の思い通りに
事を進めることが多かったので
すぐに三階建ての建物が手に入ると思っています。
 
彼はさっそく大工を呼び、「三階をつくれ」と命じました。
 
大工は毎日やってきては朝から晩まではたらきますが
なかなかすぐにはできません。
 
ある日、彼はしびれを切らして
「まだか」と大工に聞きました。
 
すると大工は
「はい、今大急ぎで基礎をつくっているところです。」
と答えました。
 
彼は仕方なく我慢しましたが
一週間後、また「まだか」と聞きます。
大工は「今、1階をつくっているところです。」と答えると、
彼はこう言ったといいます。
 
「なに?1階などいらない。いますぐ3階をつくれ。」
 
 
 
という、笑い話のようなオチですが

結果だけを求めてもうまくはいかず
いい結果を得るにはやはり、日々の積み重ねが大事である
というたとえ話に、この話を選ばせていただきました。
 

あらためて10周年、おめでとうございます。
2023-06-20 08:00:00

眠くなったら

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもこうしん堂ブログをお読みくださりありがとうございます。

前回、法然(ほうねん)上人のことを書きました。

その中で、それまでは貴族のものだった仏教を
みんな(庶民)のものに転換された、ということを書きました。

貴族のものという書き方の中に
「仏塔を建てたら」というような例えしか書きませんでしたが
それ以外にも、それまでの仏教は
「自分の身を厳しく律して、煩悩をなくす」ことが
重要とされていました。

法然上人は、いくら修行を積んでも「人間なのだから」
本当に煩悩をまったくなくすことなんて非常に難しい(≒できない)
のではないか、という立場をとったという意味でも
革命者と言われています。

有名な『徒然草(つれづれぐさ)』の中に次のような文章が
残っています。(第39段)


 ある人が、法然上人に
 「私は極楽往生を求めて念仏行に励もうとしているのですが
 どうしても念仏中に眠くなってしまいます。どうすればこの
 眠気を払い、念仏行に集中できるでしょうか。」と尋ねると
 法然上人は「(眠くなったら寝て)目が覚めたら念仏なさい。」
 とおっしゃった。実に尊いことだ。


『徒然草』を書かれた兼好法師も、法然上人のおおらかさに
魅了されたのでしょう。

仏教は難しく崇高なものだった部分があるのを、
この法然上人の教えであると「自分にもできるかも」と
思った人々が当時多かったようです。

そういった意味でも、仏教をだれにでも開かれたものに
転換された、ということができるとおもいます。

私たちも、ものごとの本質を見極めることで
細かいこと(=実は、そう重要ではないこと)を気にせず
おおらかにものごとに取り組んでいきたいものですね。
2023-05-30 08:00:00

知恩院

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもこうしん堂ブログをお読みくださりありがとうございます。

先月、京都の知恩院に行ってきました。

「御忌(ぎょき)法要」といい、
浄土宗を開かれた法然(ほうねん)上人の年忌法要
に参加してきました。

大きく言えば全国からお坊さんが集まり、
法然上人の遺徳(いとく)を讃えしのびます。

知恩院
↑天気もよく、改修された御影堂(みえいどう・国宝)が映えます。

御影堂に本尊としてまつられる法然上人は
当時(鎌倉時代)、貴族中心のものだった仏教を
皆が等しく救われるものへの転換をされた、
仏教の改革者と言われています。

仏塔を建てた人は救われる、多くの寄進(寄付)をすれば救われる
ということでは、一部の貴族しか報われないものでした。

法然上人はそれを
「お念仏さえすれば、どんな人でも救われる」ものへと
転換されたのです。

現在に伝わる仏教は、どの宗派であれ
一部の方のためのものではなく
一般的な、どなたにも開かれたものになっているかと思います。

うちのお寺は何宗だから、ということで大事にするのも
もちろん素敵なことで、
ご先祖さまも喜んでくれることと思いますが
この教えや考え方がしっくりくるから、おもしろそうだから
ここのお寺で話を聞いてみよう
というような気軽な接し方ができてもいいのかなと
思うこともあります。

これから個の時代がますます加速すると思います。
これからの仏教のあり方をなんとなく考えながら
知恩院にて、法然上人からの時の流れを私なりに
受け止めさせていただきました。
2023-05-02 08:00:00

尊いのは・・・

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
いつもこうしん堂ブログをお読みくださりありがとうございます。

今日もひとつ詩を紹介できればと思います。

かなり以前にも一度こちらで載せさせていただいているかもしれません。
よくお伝えする、仏教詩人 坂村真民さんの詩の中から

尊いのは足の裏である という詩です。


「尊いのは足の裏である」

尊いのは
頭でなく

手でなく
足の裏である

一生 人に知られず
一生 きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく

足の裏が教えるもの

しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ

頭から光がでる
まだまだだめ

額から光がでる

まだまだいかん

足の裏から光がでる

そのような方こそ

本当に偉い人である


ある会社の就職試験の最終面接で
親の足を洗ったことはありますか?という質問があったそうです。

もちろん、ほとんどの人はないと答えましたが
なければ今日一度洗わせてもらってきなさい
ということで面接が終わったそうです。

その人は、面接で聞かれたもので仕方なく
こっぱずかしいけれど、仕方がないので親にお願いし
足を洗わせてもらったそうです。

想像以上にやせてしわがあり、
こんなに苦労をして私を育ててくれたのか
という思いがしたそうです。
そのことを後日伝えると入社試験で合格になったという話ですが

目立たなくても本当に人のためになることを進んでやる
ということが尊いことなんだと
改めて思い知らされた詩とお話の紹介でした。

2023-04-18 08:00:00

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