仏さまの眼
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仏さまの眼に注目されたことがあるでしょうか。
仏さま(仏像)の眼はだいたい「半眼(はんがん)」といい
大きく目を見開いた状態ではなく
半分眼を開いて半分閉じたような状態になっています。
悟りの境地を表す、ということもあるのですが、これは
「私たち(人間)は、ついわるいこともしてしまうけど
すこしくらいなら見逃してやろう」
という意味だよ、と小さいころ教えられました。
これは「ちょっとくらいわるいことをしてもいいよ」
という意味ではく、
私たちの目は外に向けられています。
外に向けられているからこそ
他人のした「わるいこと」には非常によく目が行きがちです。
あの人こんなことをしている、私だったらそうはしないのに。
またあの人あんなことをやっている、だれかとめないのかな。
よくよく振り返ってみると
自分自身や身内も同じような、似たようなことを
まったくしていないと言い切れるでしょうか。
目は外に向けてついているので、なかなか自分自身のことは
見えなかったりします。
この仏さまの「半眼」はそういったことを教えてくれています。
人のことは半分目をつぶってみるくらいでちょうどいい。
残りの半分で、自分自身の行いを振りかえってみなさい。
仏さまの眼を見たら、小さい頃教えられた
そんな教えを思い出すようにしています。
2022-10-25 08:00:00
あとからくる者のために
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今日は、簡単ですが、このような生き方をしたいなというお話を。
時々、こちらのブログでも紹介させていただいている
仏教詩人、坂村真民(さかむらしんみん)さんの詩を
紹介したいと思います。
「あとからくる者のために」
あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ
あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々(それぞれ)自分で出来る何かをしてゆくのだ
2022-09-27 08:00:00
コロナウイルス第7波
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お読みいただきありがとうございます。
コロナウイルスの第7波が猛威をふるっています。
感染の拡大、医療崩壊の懸念など、心配ごとは尽きませんが
最近、より感じるのは、人によっての「価値観の違い」です。
特にこのコロナウイルスに関しては
顕著に考え方の違いが現れているように思います。
極端に言うと、ですが
「コロナウイルスは怖い、
とにかく自分や大事な人に感染してほしくない」
という人と
「コロナウイルスは風邪の一種だ、かかったってたいしたことはない、
世の中は騒ぎすぎだ」
という人。
どちらにも、そう考える背景や理由があるので
一概に完全に否定することはできないのですが
コロナウイルスに対する考え方が原因で
ご家庭が不仲になったり、離縁に至ったり、という話も
時たま聞こえるようになってきました。
当然、命、健康を脅かすものとしての怖さはありますが
私たちの不和を巻き起こすという意味では
これも新たなウイルスの怖さだと言わざるを得ません。
ただし、こちらには(こちらにも)対処法があります。
相手の立場、そう考えた背景を「想像」すること。
考え方のちがうあの方には、なにかのきっかけがあって
そう考えるようになったんだ、と考えることです。
たとえば、過度に怖れている(ように見える)人は
過去に病気などで、大切な人を失ったことのある人かもしれません。
コロナウイルスなんて気にせず、経済を回せばいいんだ
という人は、身内に会社が倒産して生活が苦しく困窮した人がいる
のかもしれません。
すこし極端ですが
背景を想像(正しくなくても構いません)してみるだけで
少なくとも私たちを分断する「敵意」はすこし
和らぐのではないでしょうか。
マスクと熱中症の問題が気になる季節になってきました。
みなさん健康に留意され、よい夏休み、お盆をお過ごしください。
2022-08-02 08:00:00
みんなちがって・・・
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前回、『阿弥陀経』の一節(青色青光・・・)を紹介しましたが
「多様性を認め合う」ことが大切と最後に書かせていただきました。
これはなかなか簡単には進まないこともあるかとは思いますが、
世界的に、意識は向けられつつあるように感じます。
SDGsの17項目の5番目にも
「ジェンダー平等を実現しよう」とあります。
(その他項目にもいえるところはありますが)
日本でも、近年の赤ちゃんの名づけランキングを見ると
ジェンダーフリーな、ジェンダーレスな名前が多いようです。
(具体的には検索してみてください)
みんな違うからこそお互いに尊重し、よりよい世界をつくっていく。
このことが、たとえばお子さまにも
とてもイメージしやすいと思える詩があります。
大変有名な、教科書にも載るもので恐縮ですが
青色青光・・・の話をさせていただく時に
どうしても紹介したくなり、今回も、金子みすゞさんの
『私と小鳥と鈴と』を載せさせていただきます。
十分ご存知と思いますが、「多様性を認め合う」ことに思いをはせて
もう一度味わってみていただければ幸いです。
『私と小鳥と鈴と』 金子みすゞ
私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように
地面(じべた)を速くは走れない
私がからだをゆすっても
きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ
鈴と 小鳥と それから私
みんなちがって みんないい
2022-06-28 08:00:00
青色青光
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今日は、私たちがいつもお唱えするお経『阿弥陀経』の一節を紹介したいと思います。
・・・池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黃光 赤色赤光 白色白光・・・
・・・ちちゅうれんげ だいにょしゃりん
しょうしきしょうこう おうしきおうこう
しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう・・・
これは、『阿弥陀経』のなかで、極楽浄土のありさまを説いた部分に出てきます。
池中蓮華 池の中の蓮の花は
大如車輪 大きさは車輪のようで
青色青光 青いもの(花)は青く光り
黄色黄光 黄色いものは黄色く光り
赤色赤光 赤いものは赤く光り
白色白光 白いものは白く光っている
という意味です。
理想の世界である極楽浄土では
「それぞれが、ありのままで、輝いている」ことを示します。
最近でこそ、多様性を認めようという考えが一般的になりつつありますが
何千年も前からこのように説かれているのは、やはり真理を示されているように
考えさせられます。
社会においても教育現場においても家庭においても
型にはめようとするのではなく、個性、多様性を認め合い
それぞれが「自分らしさ」を存分に発揮できる世の中になってほしいものですし
実現に向け、私たちもできることはしないといけないなと思わせてくれる
お経の一節でした。
2022-05-31 08:00:00