おはようございます。
いつもブログ(お坊さんの1分説法)を
お読みいただきありがとうございます。
私はよく、仏教学者の ひろさちや さん
の本を参考にしていますので、
よろしければまた読んでみてください。
今日は、ひろさんがよくお話される
「少欲のすすめ」ということについて
少し書いてみたいと思います。
『クルイロフ寓話集』というものに出る
「あわれな金持ち」という話を紹介されていましたが、
次のような話です。
「金持ち」と題されていますが、主人公は貧乏です。
この人は、お金持ちを軽蔑していました。
お金もちは、お金を貯めるだけで、ちっとも使わない。
馬鹿だなあ。
私ならいくらでも使ってやるのに。
みんなを幸せにすることもできるだろうに、と。
そこに悪魔が現れて、
彼にこう言いました。
「おまえの気持ちはわかった。
では、おまえにこの財布をやろう。
財布の中には1枚の金貨が入っている。
しかしそれを取り出すと、次の金貨がすぐに財布に登場する。
だから、おまえが満足するまでいくらでも、
財布から金貨を取り出すことができるのだ。」
彼は「ありがとうございます。」と、
その財布を受け取りました。
ところが悪魔は笑って、
こう付け足しました。
「しかし、これだけは知っておけ。
この財布を川に捨てるまでは、
金貨は一円も使えない、ということをな。」
さて、彼は喜びます。
「よし、今日1日、この財布から山ほど金貨を
取り出してやる。そして、明日川に捨てて、
たくさんお金を使ってやるんだ。」
そう言って、財布から金貨を取り出しはじめました。
そして朝になります。
すると、彼の気が変わりました。
「もう1日だけ、この財布から金貨を取り出そう。
それから捨てに行ってもいいだろう。」
そして、次の日の朝、もうお分かりでしょうか。
やはり、彼は財布を捨てられません。
翌日も、財布から金貨を取り出し続けています。
5日目には、財布を川に捨てようと、
いったん家を出ていきました。
しかし途中で気が変わって
「もう少し取り出してからにしよう。」と
財布を持って家にかえり、
また財布と格闘します。
もちろん、財布を川に捨てていないので
まだ金貨は使うことができません。
食料も買えないのです。
しかしそうなると、もはや執念で、
「あと少し、あと少し。」と
やせ細りながら、金貨を取り出しています。
そして最後は、9百万枚目の金貨とともに
彼は死んでしまいました。
という話です。
私たちの欲望には限りがありません。
そのことを知らないと、
現実社会でもこのようなことに陥ることが
あるかもしれませんね。
とても仏教的な寓話だと思いました。