あなたにとっての天使は?
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
今日は、『天使経』というお経の話をさせて頂きます。
一部改変していますが、以下のようなお話です。
ある人が寿命を終えたとき、
閻魔(えんま)さまに裁かれます。
その人は地獄行きを言い渡され、
理由をたずねると、
おまえは、天使に出会っても自らの生き方を正さなかった、
と言われます。
いえ、私は、天使などにはお会いしておりません。
ではおまえは、老いていく老人を見なかったか?
はい、ご老人には何度となくお会いしました。
では、どうして時は有限だと知り、
すべてのものはうつり変わると理解しなかったのか。
おまえは、他に天使に出会わなかったのか?
いえ、天使などにはお会いしておりません。
ではおまえは、病気になり苦しむ人を見なかったか?
はい、病気の方には何度となくお会いしました。
では、どうして自分の体でさえ自分の思うようにいかないと知り、
すべてのものは自分の思い通りにならないと理解しなかったのか。
と、人間の「生老病死」の苦しみを抱えた者を
「天使」と見て、自らの考え、生き方を正しなさい、
という内容のお経です。
苦しみを抱えた人に出会っては、
諸行無常(しょぎょうむじょう:
すべてのものはうつり変わること)や、
諸法無我(しょほうむが:
思い通りになるものはこの世にないこと)などの真理を知り、
それに向き合って生きていきなさい、
ということになります。
また、そのように難しく考えなくとも、
(生:)赤ん坊から教わることもあれば、
(老:)ご老人から教わることもある。
(病:)病気の人に気づかされることもあれば、
(死:)人の死によって気づくこともある。
このように、出会う人すべてから教わることはあります。
なにか心を動かされる出来事に出会った時、
(仮に、怒りや悲しみなどの感情をもってしまったとしても)
よく考えてみると、その相手は
自らの人生をよりよい方向に変えてくれる「天使」
なのかもしれません。
2016-01-12 07:23:00
正月飾り
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
新年あけましておめでとうございます。
今年も(今年は?)いい年にしましょう!
さて、正月らしい話をひとつ。
江戸時代、元政法師という日蓮宗の僧がいました。
法師は、京都の深草で隠居をしておられたので
深草上人とも呼ばれていたそうですが、
上人が遺した歌に、以下のものがあります。
「松たてず しめかざりせず 餅つかず かかる家にも 春は来にけり」
つまり、
「門松もたてず、しめ縄もせず、餅もつかない。
(正月を迎える装いは全くしていない)こんな(私の)家にも
新春はやってきましたよ」
お家を、正月らしい装いにするかしないかは自由ですが、
「春は来にけり」と、新年を迎えた、という心をもつことが大事である。
正月の飾りで大事なのは「心の飾り付け」であるということです。
新しい年が来た、という気持ちをしっかりと持って、
新たな年にふさわしい誓いをたて、
心新たに、今年も一年、
与えられた人生を精一杯生きさせていただこう
という思いをもつ。
これが新年にふさわしい心の持ち方のひとつではないかと思っています。
今年も一年、よろしくお願いいたします。
2016-01-05 06:24:52
八正道 まとめ
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
八正道の話も大詰め、今日は第七「正念」、
第八「正定」について書いてしまいます。
「正念(しょうねん)」とは、
正しい気づきを得なさいということです。
我々は、煩悩にとらわれ生きています。
例えば、何かをされてしまった瞬間、
「怒り」の気持ちが出てしまっている自分に気づくこと。
そのことに気がつくことで、
怒りにまかせた行動をとるのではなく、
生産的な行動を起こすことができるかもしれません。
そして「正定(しょうじょう)」とは、
正しい精神統一をすることです。
集中しなさい、ということです。
もちろん「正しい」がつきます。
ギャンブルに集中するのではありません。
1つのことに集中すれば、
人はすごい力を発揮することができます。
その集中する対象も、ただしく選ばなければいけません。
私なりの解釈ですが、八正道をまとめると、
きめつけずに物事を見(正見)、
自己中心的な思いをもたず(正思惟)、
よく考えて言葉を選び(正語)、
自分の行動に責任を持ち(正業)、
世の中の役に立つ仕事をし(正命)、
まわりを幸せにすることにつながる努力をする(正精進)。
そのためには、自分の状態をしっかりと見定め(正念)た上で、
精神を集中する(正定)ことが大切だ
ということになろうかと思います。
2015-12-22 08:37:09
心配で寝られない
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
先週はお休みしてしまい申し訳ありませんでした。
いつも目を通していただいてありがとうございます。
八正道の話をシリーズでしていますが、
残すところ2つということで、年内に書けそうなので
今日はもう一度ブレイク。
心配してもどうにもならないという話をしましょう。
知人から借金をして、
明日が期日だというのに、
返すお金のあてがないという男がいました。
男は、なんと説明しようか、
心配になり、眠れないでいました。
そんな男に、妻はこう言ったそうです。
ばかね、あなたは。
明日お金を返せないというのなら
心配になって眠れないのは
向こうのはずじゃないの。
その言葉で男はぐっすりと眠れたそうです。
私もそうですが、
心配してもどうにもならないことを心配してしまい、
無駄にエネルギーを使ってしまう人がいます。
自分の力でどうにもならないことは、
仏さまにおまかせして、
考えるのをやめてしまいましょう。
すこし気が楽になるかも、しれませんよ。
2015-12-15 07:23:07
ただしい努力
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
今日は、八正道の第六、「正精進」についてです。
「正精進(しょうしょうじん)」とは、
正しい努力をしなさいということです。
正しい方向に努力をすることが大切です。
この点は、前回の「正命」と似通っていますが、
詐欺師が、その方法を高めるために
人をあざむく方法を努力して研究する、
麻薬の密売人が、ばれずに運ぶ方法を日々熟考する。
これらの「努力」は、正しい努力とはいえません。
以前、仏教の基本は、
「よいことをしなさい、悪いことはするな。」
だということを書きました。
よいことをより多くするための努力。
また、悪いことをしないための努力。
それらが、「正精進」です。
「精進」とは、まさに仏道修行です。
修行をするのですから、
正しい方向に「精進」しないと意味がありません。
自分が今、精進していることは
よい結果をもたらすでしょうか。
まわりの人々をみんな笑顔にすることができるでしょうか。
ご先祖さまも喜んでくださるでしょうか。
どうせ精進するなら、
自信をもって「はい」と答えられることに
チャレンジしましょう、
ということが「正精進」だと思っています。
2015-12-01 07:23:23