地獄のような・・・
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
お盆がおわりました。
どこのお坊さんもほっとしていることと思います。
お盆のおつとめは
一軒あたりの時間は本当に短いです。
短いお経を上げに檀家さんをまわるわけですが、
どのお家も丁寧に迎えてくださり
本当に感謝しています。
ありがとうございました。
最近、お坊さんに対するイメージはどうなんだろうと
常日頃問題意識をもっていますが、
お盆のおつとめを終えた時は毎年、
何十年、何百年にわたって
お坊さんの先輩方が築いてくださったものは
本当に大きいのだなあと実感させてもらえます。
だからこそ、これをつぶしてはいけないし、
少しでも良くしていかなければいけません。
さて、お盆のおつとめでお唱えする偈文(げもん)の一つに
「破地獄偈(はじごくげ)」
というものがあります。
「若人欲了知 三世一切仏 応観法界性 一切唯心造」
「にゃくにんよくりょうち さんぜいっさいぶ
おうかんほうかいしょう いっさいゆいしんぞう」
これは、地獄の苦しみを破る偈文とされています。
意味は、
さとりを得ようと思えば(苦しみをのがれようと思えば)
この世のすべての事象は、
心によってつくり出されると知りなさい
というようなことです。
何か出来事が起きたとき、
それに意味づけをするのは自分自身の心です。
その起きた出来事を
どう捉えるかによって
意味合いが変わってきます。
同じ出来事でも、苦しいと感じる人もいれば
チャンスだ、楽しんでやろう、と思う人もいます。
この世の出来事にはすべて、
自分自身の心によって意味づけがされるんですよ
ということです。
それを知っておくことで、
地獄のような苦しみからはのがれられるかもしれませんね。
2015-08-18 07:00:00
棚経まいり
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
みなさん、お盆のお墓参りはされましたでしょうか。
今は、お盆の棚経(たなぎょう)まいりの最中です。
各檀家さんの家にまわり、
お仏壇に手を合わせ、お経をお唱えし、
ご先祖のご供養をさせていただきます。
昔は、家の縁側(えんがわ)などに、棚を組み立て、
そこにお位牌(いはい)を並べていたそうです。
その各家の棚にお経を上げるので「棚経(たなぎょう)」
というそうです。
お墓参りと書きましたが、色んな事情で、
それが難しい方もいらっしゃると思います。
そういう場合は、少しでいいので時間をとって、
ご先祖に手を合わせ、
また、日頃お世話になっている方々のお顔を目に浮かべ、
「みんなのおかげで私がいる」ということを
「生かされている」ということを、
感じていただければと思います。
そのお手伝いをさせていただくつもりで、
今日もこれから棚経まいりに行ってきます。
2015-08-11 06:32:24
先祖供養
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
こんにちは。
更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
8月に入ると、僧侶たちはめまぐるしい日々を過ごすことになります。
もちろん、お盆があるからですが、
みなさん、お盆には何をされるでしょうか?
1番多いお答えが、お墓参りだとおもいます。
では、お墓参りで何をするかというと、
花をお供えし、水をかえ、線香をたき、手を合わせ、
ご先祖さまを供養します。
色々と話したり、報告をされる方も多いかもしれません。
この、先祖供養には、二つ意味があると考えています。
一つは、文字通りご先祖を供養すること。
そして、もう一つは、
ご先祖から、自分の生き方を振り返る機会を頂くことです。
ご先祖に報告をしたり、
またその方がどんな方であったかをご家族などで話す中に
かならず自分の生き方、日々のふるまいを振り返る機会ができます。
それが、先祖供養のもう一つの意味だと思っています。
今日はかんたんですがこの辺で。
ぜひお墓参りをしましょう。
2015-08-04 19:01:26
自分のもの
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
先週、来週は「諸法無我(しょほうむが)」
ということについて書きます、と最後にかきました。
が、この教えは仏教の根本であり、
簡単に書くことは難しいです。
私も完全には理解できていないとおもいます。
なので、本当にカンタンに、
どういうことかイメージをして頂くため、
私なりにかみ砕いてお話したいとおもいます。
このように、いつも以上におことわりが多いのは、
「諸法無我」は、仏教の「三宝印(さんぼういん)」といいまして、
「根本になる3つの教え」の1つに数えられていることだからです。
三宝印についてはまたお話するとして、
今日は、みなさんも聞いたことがあるかもしれません
「諸法無我」ということについて少し書いてみたいと思います。
諸法無我とは、一言でいうと、
この世の中、この世界に、「私の(あなたの)もの」など
1つもないよ、ということです。
「諸法(しょほう)」とは、
「諸」とは、ここでは「もろもろの」「すべての」という意味で、
「法」とは「もの」「現象」という意味です。
「諸法(すべてのもの)」は「無我」。
「我(われ)」のものでは「無い」ということです。
じゃあこの体はどうなんや?
となるわけですが、
あなたの体も、あなたの思い通りにはいきません。
病気になりたくてなる人など、どこにいるでしょうか?
年をとり、体が動かしにくくなりたい人など、どこにいるでしょうか?
自分の体ひとつ、思い通りにはならないのです。
また、人をみてもそうです。
「自分の彼女」だと思うから、
「自分の夫」だと思うから、
「自分の子ども」だと思うから、
「自分の部下」だと思うから、
思い通りにいかない時に、腹が立つのです。
人間はどうしても所有欲が出てしまいます。
「自分のものだ」と思うから、
それが減った時や
うまくいかない時、
苦しみに変わるのです。
お釈迦さまは「人生は苦だ」とおっしゃいました。
しかし、仏教は決して後ろ向きの教えではなく、
「いかにして、その苦を乗り越えていくか」を伝えた教えです。
その大事な1つが、「諸法無我」。
本当の意味での「私のもの」、「私の思い通りになるもの」など、
この世にはないんだ、ということを知ることが大切だというお話でした。
2015-07-28 08:00:00
つもりちがい
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
今日は、最近掲示で見た
「つもりちがい十カ条」
というものを紹介します。
高いつもりで低いのが教養。
低いつもりで高いのが気位。
深いつもりで浅いのが知識。
浅いつもりで深いのが欲望。
厚いつもりで薄いのが人情。
薄いつもりで厚いのが面皮。
強いつもりで弱いのが根性。
弱いつもりで強いのが自我。
多いつもりで少ないのが分別。
少ないつもりで多いのが無駄。
気位とは、「きぐらい」と読み、プライドのこと。
面皮とは、世間体のことで、
面皮が厚いとは、ずうずうしいことです。
気位が高いことや、
自我が強いことに気付け、というのは大変仏教的だなあと思いました。
仏教には、「諸法無我(しょほうむが)」という教えがあります。
この世に「私の物」など1つもない
という教えです。どういうことかの解説は
また来週いたします。
一度、考えてみてください。
2015-07-21 08:00:00