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先祖供養

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
こんにちは。
更新が遅くなってしまい申し訳ありません。

8月に入ると、僧侶たちはめまぐるしい日々を過ごすことになります。
もちろん、お盆があるからですが、

みなさん、お盆には何をされるでしょうか?

1番多いお答えが、お墓参りだとおもいます。

では、お墓参りで何をするかというと、
花をお供えし、水をかえ、線香をたき、手を合わせ、
ご先祖さまを供養します。

色々と話したり、報告をされる方も多いかもしれません。

この、先祖供養には、二つ意味があると考えています。

一つは、文字通りご先祖を供養すること。

そして、もう一つは、
ご先祖から、自分の生き方を振り返る機会を頂くことです。

ご先祖に報告をしたり、
またその方がどんな方であったかをご家族などで話す中に

かならず自分の生き方、日々のふるまいを振り返る機会ができます。

それが、先祖供養のもう一つの意味だと思っています。

今日はかんたんですがこの辺で。

ぜひお墓参りをしましょう。
2015-08-04 19:01:26

自分のもの

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
先週、来週は「諸法無我(しょほうむが)」
ということについて書きます、と最後にかきました。
 
が、この教えは仏教の根本であり、
簡単に書くことは難しいです。
私も完全には理解できていないとおもいます。
 
なので、本当にカンタンに、
どういうことかイメージをして頂くため、
私なりにかみ砕いてお話したいとおもいます。
 
このように、いつも以上におことわりが多いのは、
「諸法無我」は、仏教の「三宝印(さんぼういん)」といいまして、
「根本になる3つの教え」の1つに数えられていることだからです。
 
三宝印についてはまたお話するとして、
今日は、みなさんも聞いたことがあるかもしれません
「諸法無我」ということについて少し書いてみたいと思います。
 
諸法無我とは、一言でいうと、
この世の中、この世界に、「私の(あなたの)もの」など
1つもないよ、ということです。
 
「諸法(しょほう)」とは、
 
「諸」とは、ここでは「もろもろの」「すべての」という意味で、
「法」とは「もの」「現象」という意味です。
「諸法(すべてのもの)」は「無我」。
「我(われ)」のものでは「無い」ということです。
 
じゃあこの体はどうなんや?
となるわけですが、
あなたの体も、あなたの思い通りにはいきません。
病気になりたくてなる人など、どこにいるでしょうか?
年をとり、体が動かしにくくなりたい人など、どこにいるでしょうか?
自分の体ひとつ、思い通りにはならないのです。
 
また、人をみてもそうです。
「自分の彼女」だと思うから、
「自分の夫」だと思うから、
「自分の子ども」だと思うから、
「自分の部下」だと思うから、
思い通りにいかない時に、腹が立つのです。
 
人間はどうしても所有欲が出てしまいます。
「自分のものだ」と思うから、
それが減った時や
うまくいかない時、
苦しみに変わるのです。
 
お釈迦さまは「人生は苦だ」とおっしゃいました。
しかし、仏教は決して後ろ向きの教えではなく、
「いかにして、その苦を乗り越えていくか」を伝えた教えです。
 
その大事な1つが、「諸法無我」。
本当の意味での「私のもの」、「私の思い通りになるもの」など、
この世にはないんだ、ということを知ることが大切だというお話でした。
2015-07-28 08:00:00

つもりちがい

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。

今日は、最近掲示で見た
「つもりちがい十カ条」
というものを紹介します。



高いつもりで低いのが教養。

低いつもりで高いのが気位。

深いつもりで浅いのが知識。

浅いつもりで深いのが欲望。

厚いつもりで薄いのが人情。

薄いつもりで厚いのが面皮。

強いつもりで弱いのが根性。

弱いつもりで強いのが自我。

多いつもりで少ないのが分別。

少ないつもりで多いのが無駄。



気位とは、「きぐらい」と読み、プライドのこと。

面皮とは、世間体のことで、
面皮が厚いとは、ずうずうしいことです。

気位が高いことや、
自我が強いことに気付け、というのは大変仏教的だなあと思いました。

仏教には、「諸法無我(しょほうむが)」という教えがあります。

この世に「私の物」など1つもない

という教えです。どういうことかの解説は

また来週いたします。

一度、考えてみてください。

2015-07-21 08:00:00

七夕

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
先週、七夕ということに気づかず更新してしまいました。
1週おくれですが、
みなさん何か短冊に願いごとはされましたでしょうか?
 
実は、七夕も仏教と関係しておりまして、
昔、七夕は七月七日ではなかったそうですが、
仏教が日本に伝わって以来、
お盆の準備をする日(関東ではお盆の行事は7月に行われます)
として、七月七日になったという歴史があるそうです。
 
さて、仏教の中で、「願いごと」は、そのまま「願(がん)」といいます。
なかでも、最も有名な「願」、願いごとは、
 
「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の48願」
というものがあります。
 
これは、浄土宗や浄土真宗の根本になっている
偉大な教えなのですが、
カンタンに紹介してみたいとおもいます。
 
まず、菩薩というのは、仏を目指して修行中の者のことをいいます。
菩薩には53の位がありまして、われわれは一番下、
観音さま、お地蔵さん、は一番上の位です。
 
法蔵という名の菩薩が、48の誓願(せいがん)を建てられました。
 
「私は、・・・を達成しなければ、仏にはなりません。」
このような誓いを48されました。
これを、四十八願(しじゅうはちがん)といいます。
 
AKB48の48もここからとったと聞きましたが、本当でしょうか。
 
本当にカンタンに書いているので、端折ってしまいますが、
その中で、最も重要だとされているのが、
第18願。
 
野球のエースナンバーや、
また、あの人のカラオケの「おはこ」、
というのは「十八番」と書きますが、
それは(ほぼ確実に)ここからきています。
 
そして、その一番大事な「18願」とは、なんでしょうか?
それは、
「私は、苦しむ人々が、私の名前をとなえたならば、必ず浄土へ救う」
というものです。
(かなりカンタンに意訳しています)
 
法蔵菩薩は、大変長い期間修行され、「阿弥陀仏」という仏になりました。
先ほどの願いが達成しなければ仏にはならない、
と誓われているわけですから、
その48の誓願は、すべて成就(じょうじゅ)されているわけです。
 
もうおわかりでしょうか?
 
その十八番、第18願が、
「なむあみだぶつ」
そうとなえる者は、みな救うという、
法蔵菩薩あらため、阿弥陀仏の「願い」だったというわけです。
2015-07-14 07:07:00

天使

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。

先日、私の先輩が「今、逆境に立たされている」
と言っていました。
その時に、
「逆境というのに何か仏教的にいい話ないか?」
と聞かれたことがあります。
 
私は、仏教の基本は「こだわるな」ということですから、
仏教には、順境も逆境もないんじゃないか
と答えたのですが、
その後よく調べてみるとやはり、
「逆境(逆縁)」とは仏教でも使われることばで、
「自分の心に反する境界(環境)」
という意味があるそうです。
 
(念のため、「順境も逆境もない」という考え方も
空思想のなどにはあります。)
 
人は、順境の時にはほっといても誰でもうまくいく。
けれど、逆境の時にこそ、その人の真価が問われる。
と言われます。
 
なにかピンチに陥った時、
そんな時こそその人の「人となり」が現れる、というわけです。
仏教らしくない言い方でいうと、「がんばりどころ」です。
 
さて、反対に、逆境の人に出会った時にも
おそらく人間性というものが現れるのではないでしょうか。
 
『天使経』というお経があります。
 
ある人が寿命を終え、閻魔(えんま)さまの前に立ちます。
裁きを受けるわけですが、
「おまえは、どうして自分の生き方を改めなかったのか。」
と問われます。
「何人もの天使に出会っただろう?
その天使の導きによって、どうして人生をよりよくしなかったのか。」
「いえ、私は天使などには出会っておりません。」
「あなたの前に、生老病死の苦しみを抱えた者はいなかったか。
彼らが天使なのだよ。」
「苦しみを抱えた彼らに出会い、
あなたは生き方を改める機会がいくらでもあったはずだ。」
 
と、かなり意訳ですが、
生老病死などの苦しみを抱えた人を「天使」と見る
お経があります。
 
逆境に立たされている人を天使と見て、
自らを省みることもできる、という話をさせていただきました。
2015-07-07 08:00:00

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