JR和歌山駅東口より徒歩1分。漢方相談・ホメオパシーを中心に、かかりつけ薬局として、自律神経失調・皮膚疾患・妊活・がんに伴う諸症状などの、ご相談をお受けしております。

 
漢方体質
チェック
 
ご相談頂く
症状・疾患
 
健康レシピ
 
アクセス
会社概要
 
駐車場

こうしん堂に隣接コインパーキングがございますのでご利用下さい。
ご購入いただきましたお客様には、ご滞在時間に応じた対応をさせて頂いております。
満車の際はお声かけ下さい。

院外処方せん受付

受け付けております。
FAX:073-471-2551
 
各種クレジットカードご利用
頂けます
店頭でご確認ください。
お気軽にご相談ください
 

よい寄せられるご相談

■女性のお悩み

■妊活「不妊・子宝」

■お肌トラブル・美容

■自己免疫疾患・橋本病・バセドウ

■癌「がん」

■消化器疾患

■痛みのご相談

■自律神経失調・メンタル

■呼吸器・耳鼻科・眼科疾患

■尿のトラブル

■生活習慣病

■その他
 
 

漢方相談・ホメオパシーセッション

漢方相談・ホメオパシーセッションにお越し下さるお客さまへ

 通常、店内のご相談スペース【他のお客様と仕切られた場所】にて行っております。奥には、さらに個室相談スペースを設けております。ご希望の際は、お申し出下さい。

お花見の季節です


RSS

七夕

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
先週、七夕ということに気づかず更新してしまいました。
1週おくれですが、
みなさん何か短冊に願いごとはされましたでしょうか?
 
実は、七夕も仏教と関係しておりまして、
昔、七夕は七月七日ではなかったそうですが、
仏教が日本に伝わって以来、
お盆の準備をする日(関東ではお盆の行事は7月に行われます)
として、七月七日になったという歴史があるそうです。
 
さて、仏教の中で、「願いごと」は、そのまま「願(がん)」といいます。
なかでも、最も有名な「願」、願いごとは、
 
「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の48願」
というものがあります。
 
これは、浄土宗や浄土真宗の根本になっている
偉大な教えなのですが、
カンタンに紹介してみたいとおもいます。
 
まず、菩薩というのは、仏を目指して修行中の者のことをいいます。
菩薩には53の位がありまして、われわれは一番下、
観音さま、お地蔵さん、は一番上の位です。
 
法蔵という名の菩薩が、48の誓願(せいがん)を建てられました。
 
「私は、・・・を達成しなければ、仏にはなりません。」
このような誓いを48されました。
これを、四十八願(しじゅうはちがん)といいます。
 
AKB48の48もここからとったと聞きましたが、本当でしょうか。
 
本当にカンタンに書いているので、端折ってしまいますが、
その中で、最も重要だとされているのが、
第18願。
 
野球のエースナンバーや、
また、あの人のカラオケの「おはこ」、
というのは「十八番」と書きますが、
それは(ほぼ確実に)ここからきています。
 
そして、その一番大事な「18願」とは、なんでしょうか?
それは、
「私は、苦しむ人々が、私の名前をとなえたならば、必ず浄土へ救う」
というものです。
(かなりカンタンに意訳しています)
 
法蔵菩薩は、大変長い期間修行され、「阿弥陀仏」という仏になりました。
先ほどの願いが達成しなければ仏にはならない、
と誓われているわけですから、
その48の誓願は、すべて成就(じょうじゅ)されているわけです。
 
もうおわかりでしょうか?
 
その十八番、第18願が、
「なむあみだぶつ」
そうとなえる者は、みな救うという、
法蔵菩薩あらため、阿弥陀仏の「願い」だったというわけです。
2015-07-14 07:07:00

天使

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。

先日、私の先輩が「今、逆境に立たされている」
と言っていました。
その時に、
「逆境というのに何か仏教的にいい話ないか?」
と聞かれたことがあります。
 
私は、仏教の基本は「こだわるな」ということですから、
仏教には、順境も逆境もないんじゃないか
と答えたのですが、
その後よく調べてみるとやはり、
「逆境(逆縁)」とは仏教でも使われることばで、
「自分の心に反する境界(環境)」
という意味があるそうです。
 
(念のため、「順境も逆境もない」という考え方も
空思想のなどにはあります。)
 
人は、順境の時にはほっといても誰でもうまくいく。
けれど、逆境の時にこそ、その人の真価が問われる。
と言われます。
 
なにかピンチに陥った時、
そんな時こそその人の「人となり」が現れる、というわけです。
仏教らしくない言い方でいうと、「がんばりどころ」です。
 
さて、反対に、逆境の人に出会った時にも
おそらく人間性というものが現れるのではないでしょうか。
 
『天使経』というお経があります。
 
ある人が寿命を終え、閻魔(えんま)さまの前に立ちます。
裁きを受けるわけですが、
「おまえは、どうして自分の生き方を改めなかったのか。」
と問われます。
「何人もの天使に出会っただろう?
その天使の導きによって、どうして人生をよりよくしなかったのか。」
「いえ、私は天使などには出会っておりません。」
「あなたの前に、生老病死の苦しみを抱えた者はいなかったか。
彼らが天使なのだよ。」
「苦しみを抱えた彼らに出会い、
あなたは生き方を改める機会がいくらでもあったはずだ。」
 
と、かなり意訳ですが、
生老病死などの苦しみを抱えた人を「天使」と見る
お経があります。
 
逆境に立たされている人を天使と見て、
自らを省みることもできる、という話をさせていただきました。
2015-07-07 08:00:00

眠くなったら・・・

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。

先週、坊さんの研修会に参加してきました。

印象に残っているのが、隠元(いんげん)和尚の話。

隠元(いんげん)と聞いて何を思い浮かべますでしょうか。

インゲンマメ?

実は正解で、隠元和尚が日本に伝えたマメだから、 インゲンマメというそうです。

お坊さんの世界でも、隠元和尚は有名です。

それは、木魚(もくぎょ)を日本に広めた僧として。


木魚は何のためにあるのでしょうか。

一つは、お経のリズムを整えるためです。

そして、実はもう一つは、
お経を読み続けていると眠くなるので、 寝ないためにたたいていたそうです。

どうして魚の形をしているのかというと、
昔は、魚は寝ないと信じられていたので、
(本当は目を開けたまま寝るんだそうですが)
寝ない魚にあやかって、魚の形をしています。

すこし意外ではないでしょうか。
昔のお坊さんたちも、やはり眠気に負けそうな時があって、
克服するために、木魚をたたいていたというのです。


『徒然草』に、次のような節があります。

或人(あるひと)、法然上人(ほうねんしょうにん)に、
「念仏の時、睡(ねぶり)にをかされて、行を怠り侍る事、
いかがして、この障りを止め侍らん」と申しければ、
「目の覚めたらんほど、念仏し給へ」
と答へられたりける。 いと尊かりけり。


ある人が、法然上人に、
「念仏を唱えている時に、睡魔に襲われてしまい、
称名念仏の勤行を怠ってしまうのですが、
どのようにして、 この障害を乗り越えればよろしいのでしょうか?」
と質問した。

すると、法然上人は、
「目が覚めている時に、念仏をしなさい」
と答えられた。とても尊いことである。


眠い時には寝ていいから、 また起きたら念仏に励みなさい。

という教えです。

何事も無理は禁物。

どんなことだって 無理をして、がんばりすぎて、
結局続けられない、ということはあります。

それよりは、無理のない、続けられる範囲で継続する、
その方が、きっと力になると思います。

そのようにも受け取れる一節ではないかとおもいます。

2015-06-30 08:00:00

初心

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
実は今日から4日間、本山で研修があります。
といっても、滝に打たれる修行ではなく、座学がほとんどですが。

 それでもやはり、本山に行くと、 修行時代を思い出し
気が引き締まる思いがします。

 「初心忘るべからず」

何の仕事にも当てはまることだと思いますが、 心を大切にする、
僧侶の世界では特に大切なことの一つだとおもいます。
この「初心忘るべからず」ということばは、
能役者、世阿弥の言葉だそうです。

 「学び始めた当時の意気込みや謙虚さを忘れず、
常に高い志を持って物事に当たらねばならない」

 という意味です。 何事にも「慣れ」は生じてきます。
慣れとはこわいもので、よく、交通事故や、仕事上でのミスは、
慣れてきた頃に起こしやすいといいます。

  しかし、本当にこわいのは人間関係における慣れではないでしょうか。
ご夫婦やカップル、ご友人関係においても、
「初心忘るべからず」ということは本当に大事なことだと思います。

 われわれ僧侶も、人とお会いしてお話をさせていただく機会が多いです。
そして、袈裟をかけているがために、丁寧に扱っていただくことが多いです。
そのようなことに慣れてしまい、自分が偉いかのように思ってしまうと、
僧侶としての道を外れてしまうように感じます。

 そうならないためにはやはり「初心忘るべからず」
もちろん僧侶だけでなく、人間界で生活している以上、必要な考え方だとおもいます。
このような機会を与えてくださる本山にも感謝し、
私がはじめて修行に行った時を思い出しながら、本山に上ってまいります。

 研修で学んだことは来週ここでかきたいと思っています。
2015-06-23 08:55:27

お酒は飲んではいけない?

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
もう梅雨のまっただなかですね。
蒸し暑い日が続いていますが みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 さて、先週かきました「戒」のはなし。 すこしおさらいをしてみます。
不殺生(ふせっしょう)戒
不偸盗(ふちゅうとう)戒
不邪淫(ふじゃいん)戒
不妄語(ふもうご)戒
不飲酒(ふおんじゅ)戒
 の5つです。

 もしかしたら、先週から、 「上の4つは心がけるけど、
お酒を飲むなっていうのはなあ…。」 と思っていらっしゃる方がいるかもしれません。
そうです。 仏教では、お酒は飲まない方がよいとされています。

 これは、俺は毎日晩酌を楽しみに生きているんだ、
という人にとっては大きな問題だと思います。
そんな人はきっと お酒を飲まないなんて 誓いたくないでしょう。

 (戒は、先週説明しましたように、 習慣づけが目的と言えるのですが、
まずは戒を守ることを誓わなければなりません。
戒を守ると誓うことにより、 もし破ってしまった時には 懺悔、反省ができるのです。)
では、どうすればいいのでしょうか。

 私の所属する宗派の宗祖である、 法然上人(1133-1212)は、
こんな質問を受けたことがあります。 「お酒を飲むことは罪なのでしょうか?」
それに対して法然上人はこのように答えられたといいます。

 「本当は飲まないに越したことはないが、世のならい。」
積極的に容認するわけではもちろんありませんが、
仏教にはそれよりも大事なことがある、
ということを おっしゃりたかったのではないでしょうか。

 (ちなみに法然上人は、持戒の僧と呼ばれ、 戒を破ることのない僧として有名だったそうです。)

 仏教徒はお酒を飲んでいけないか、 という問いに対する現代的な答えは、
「恥ずべきお酒の飲み方をしてはいけない」 といったところではないかと思っています。
2015-06-16 09:28:31

前へ 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 次へ