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遅くなりましたが、「戒」についてです!

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
以前から予告していました「戒」の内容について
書いていきたいと思います。
 
最も有名な戒に、
仏教徒なら誰でも守るべきという
「五戒(ごかい)」というものがあります。
 
五戒とは、
1、不殺生(ふせっしょう)
2、不偸盗(ふちゅうとう)
3、不邪婬(ふじゃいん)
4、不妄語(ふもうご)
5、不飲酒(ふおんじゅ)
の5つです。
 
文字を見て頂ければ、だいたい想像がつきますとおり、
1、不殺生とは、「殺すな」ということです。
2、不偸盗とは、盗むな。
3、不邪淫とは、浮気、不倫をするな。
4、不妄語とは、嘘をつくな。
5、不飲酒とは、酒を飲むな。
ということになります。
 
が、ここで少し補足をさせて頂きますと、
これらのことを守らなかったら、罰則だとか、
仏教徒として失格だというわけではないのです。
 
たとえば、1の不殺生。
文字面(づら)をみますと、
いかなる生き物でも殺してはいけない、ことになります。
仏教界では何か殺しでもすればすぐに捕まってしまう、
ようなイメージを持っていらっしゃる方もいます。
 
しかし、乱暴な言い方ですが、
道を歩いていて、1匹でも蟻を殺したらいけない!
というのでは、
戒など誰も守れないし、守ろうとしないと思います。
 
「できるだけ、無意味な殺生はしない」
というのが、現代の解釈の仕方として、良いのではないでしょうか。
 
少し前に触れたことですが、
「戒」とは、サンスクリット語(原語)で「シーラ」
といいます。
「シーラ」とは、「習慣」のこと。
歯みがきと同じように、「~しない」と気持ちわるい、
自然とそうしてしまう状態を作ることが本当の目的にあります。
 
不偸盗でも不邪淫でも不妄語でも、
盗まないこと、浮気をしないこと、うそをつかないこと。
これらのことを平気でする人と、
しないのが習慣になっていて、
もしも、何かうそをついてしまった時に、
罪悪感を感じるような人。
 
どちらの方が、普段の心の状態が定まっているでしょうか。
煩悩から、すこしでも離れられるでしょうか。
 
そのようなことで、少しでも仏教的な生活をするために
「戒」というものは現代にも生きています。
 
また来週、もう解説の続きをさせて頂きます。
2015-06-09 08:00:00

宗派をこえて

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
週末、先輩の晋山式(しんざんしき/しんさんしき)
に出てまいりました。
晋山式とは、そのお寺の住職に就任する儀式のことです。
各宗派によって行い方はちがいますが、
新住職のお披露目です。
 
禅宗のお寺でしたので、私は初めてだったのですが、
「問答」を見させていただきました。
専門でないので詳しくは書きませんが、
迫力のあるものでした。
 
日本仏教にはたくさんの宗派があります。
しかし、仏教の目指すところは同じです。
悟りを目指すこと、自らも仏になること。
 
宗派のちがいを聞かれた時には、
よくあるたとえですが、
頂上は同じ。その山の登り方がちがうだけです。
と説明します。
どの宗派も、頂上を目指しているという点では
何のちがいもないのですが、
とるルートがちがいます。
それが、坐禅であったり、念仏であったり、
お題目であったり、ご真言であったりするわけです。
 
どの宗派も頂上は同じですから、共通するところは多いです。
作法も、読むお経も、同じものもあります。
 
宗派の垣根を超えて、
仏教者が連携していくことができれば、
もっと仏教が親しみやすくなるのではないかな
という思いを持ちながら、
他宗の先輩の晋山式に参加させていただいた週末でした。
 
2015-06-02 08:00:00

花まつり

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
 
昨日は、旧暦の4月8日、お釈迦さまの誕生日でした。
 
思えば、このブログに参加させて頂いたのは、
昨年のお釈迦さまのお誕生日のことでした。
もう1年になるのだなあと思いました。
いつもお読み頂いて本当にありがとうございます。
 
いつも予定を考えずに書いてしまって申し訳ないのですが、
前回、「戒」について次回、と最後おわりましたが
今日は「花まつり」の紹介にさせて頂こうと思います。
 
お釈迦さまの誕生日を、「灌仏会(かんぶつえ)」といいます。
または、「花まつり」ともいいます。
 



――このようにお釈迦さまをおまつりします。

 
仏教の開祖であるお釈迦さまは、
今から約2500年前の4月8日、
釈迦族という民族の王子として産まれました。
 
多くのお寺では、春の花で飾られた「花御堂(はなみどう)」が設けられ、
その中に「誕生仏(お釈迦さまがお生まれになった時の姿)」が安置されます。
参詣する人は、その誕生仏に甘茶をそそぎ、お釈迦さまの誕生をお祝いします。
この、甘茶をそそぐ作法は、
「お釈迦さまが産まれる時、天から清らかな甘い雨が降りそそいだ」
という伝説に由来するものです。
また、花御堂は、お釈迦さまがお生まれになった、ルンビニーという花園を
あらわしています。
 
どうぞ、お釈迦さまが教えてくださった
いのちの尊さや、この世界で生かされていることのありがたさを
今一度見つめなおして頂ければ、と思います。

2015-05-26 08:00:00

「戒」とは

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。

前回、すこし三学(戒・定・慧)の話をかきましたが、
今日はそのうちの「戒」について書きたいと思います。
「戒」と聞くと、「法律」のようなイメージを持っていらっしゃる方が多いと思います。

「戒」とは実は、お坊さんが守らなければいけないルールのことではありません。
「戒律(かいりつ)」という言葉を聞いたことがある方はいらっしゃるかもしれませんが、
「戒律」とは、「戒」と「律」のことで、
「お坊さん(僧侶の集団)のルール」のことを、「律」といいます。
では、「戒」とは何か、という話になるのですが、

「戒」は、原語は、シーラ「Sila」といいます。
シーラを訳すと、「習慣」という意味です。
「戒」を簡単に言えば、仏教徒がもつべき習慣のことです。

毎日の歯ブラシと同じです。
「その状態が当たり前」に持っていくこと。
なので、極端に言ってしまえば、例外があっても大丈夫なのです。

そして、それはお釈迦さまが選んでくださった、
煩悩を持ち、苦しまないために、
しない方がよいという習慣です。

それをしない方が、苦しまずに済む、習慣です。
たとえば、「不妄語(ふもうご)」戒というのがあります。
「嘘をついてはいけない」という戒です。

嘘をついてはいけません。
そのように過ごしている人が、
ごくまれに嘘をついてしまったとします。
すると、その人の中では、すごく「申し訳ない」気持ちが生まれます。
それも仏教では重要なことと考えます。

毎日歯をみがいている人が磨かなかった時に気持ちわるい漢字がするのと一緒です。
そう感じたとしたら、その人にはもう、
嘘をつかないという習慣が出来上がっているというわけです。

「習慣が人を作る」という言葉がありますが、
まさしくその考え方だと思います。

「戒」とは、破ったらそれで終わりのルールではなく、
守れなかったら反省し、まだまだだな、しっかりやり直そう
と思うことができます。
「他力本願」のところでも書きました
「慢心をもたない」ことにもつながります。

よりよく生きるための習慣、それが「戒」です。

もちろん、お坊さんだけのためにあるのではありません。
そういった気持ちで、みなさんも戒にチャレンジしてみませんか。

次回は、「戒」にはどんなものがあるのか、解説してみたいとおもいます。

2015-05-19 08:00:00

他力本願2

カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
先週からの続きで、他力本願の話を書きたいと思います。
 
まずは、先週途中でした、三学(さんがく)について紹介します。
仏教徒が修めるべきものとして、
戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の「三学」というものがあります。
 
戒とは、いましめ。決められたルールを守ること。
定とは、精神集中。
慧とは、真理を悟る知恵のこと。
 
当時、比叡山にて、最もすぐれていると言われていた法然上人は、
「私は、このうちの1つもまともにできない」とおっしゃいました。
 
仮にも、比叡山で毎日修行をしている私でも
三学のうちの1つもまともにできないのだから、
 
日々生活、仕事に追われている人たちに
三学を実践しなさい、と言っても難しいのではないか。
 
そう思われた法然上人は、
誰もが救われる方法を探し始めました。
 
そこで最終的に発見されたのが、お念仏。
自力で悟るのではなく、
仏さまのお力によって、悟りに至ろうという考え方です。
 
自力ではなく、他力。
それは、自分の力を過信することなく、
仏さま(法然上人の浄土宗の場合は阿弥陀仏)
にすべてをお任せするということ。
 
つまり、誰でも。
体が弱くても、意志が弱くても、
子どもでも、老人でも、
悟りに至れるのだ、ということをお示しになったのです。
 
反対に、
「私には生きている価値がない」
というのも、自力による考え方です。
他力(仏さまの力)は、
私たちの能力など問題にしません。
 
他力本願、他力を頼むのですから、
私たちがすぐれている・劣っている
という考えがそもそも不要だということになります。
 
私たち人間は、仏さま
(宗教に抵抗がある方は「自然」や「大自然」
と言い換えてもいいと思います)には、かなわない。
人間どうしの能力の差なんて微々たるものですから、
慢心を持ったり、必要以上に自分をさげすんではいけません。
 
それが他力本願の考え方だと思っています。
 
2015-05-12 08:00:00

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