おはようございます。
今日は、教育の話を書きたいと思います。
と言っても、本で読んだ話ですが。
その話は、「保育園の園長から聞いた話である。」と始まります。
彼女の保育園に、自閉症の子が入ってきたそうです。
保育園では、みんなでその子のお世話をし、
その子は自閉症が治って元気に学校に行けるようになりました。
保育が成功したのだ、と彼女は思いました。
誇らしい気持ちになるのは当然です。
ところが、その翌年、目の不自由な子が入園してきました。
生まれつき目が見えず、いくら手術をしても、
目が見えるようにはなりません。
そのとき、彼女は、いったい何が保育なのかがわからなくなったといいます。
もしも、自閉症の子の自閉症を治すのが保育であれば、
目の見えない子は目が見えるようにしてあげるのが保育になります。
しかし、その子は、どんなにしても目が見えるようにはなりません。
彼女は悩んだ末、1つの結論に達しました。
自閉症の子の自閉症を治すのが保育ではない。
自閉症の子を、自閉症のまま幸せにしてあげることが保育なのだ。
目の不自由な子は、目の不自由なまま幸せにしてあげることが保育なのだ、と。
私たちがよくおとなえする『阿弥陀経(あみだきょう)』というお経には
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
(しょうしきしょうこう おうしきおうこう
しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう)
と出てきます。
青い子は青く、黄色い子は黄色く、
赤い子は赤く、白い子は白く光らせるのが教育なんだなあ
と気づかされる話でした。