法律によると・・・
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
今日は秋分の日、お彼岸の中日(ちゅうにち)です。
お彼岸は、インドや中国にはない、日本の独自の行事です。
秋分の日は国民の祝日ですが、
実は、日本の法律(国民の祝日に関する法律)では、
秋分の日は、「先祖をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日
と定められています。
春分の日と秋分の日は、太陽が真東から昇って真西に沈みます。
真西というのは、西方極楽浄土のあるところ、
ご先祖がいらっしゃるところです。
太陽が真西に沈む両彼岸は、
ご先祖に思いをはせるのに適した日だというわけです。
今日はお墓参りなどご予定されている方も
多いのではないかと思いますが、
その方は法律を守っていらっしゃるということですね。
ちなみに春のお彼岸、春分の日は、
「自然をたたえ生き物を慈しむ」日だそうです。
春は、四季の自然あふれる日本にいのちを受けたことを感謝し、
秋は、ご先祖からいのちを授かったことを感謝する。
ご先祖や自然、いろんな人や生き物、環境のおかげで、
今わたしは生かされているのだ、と
あらためて思い巡らせていただくのもいいかもしれません。
2014-09-23 08:44:35
してあげる
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
先週、みなしごサーヤのおはなしを紹介しました。
前々回のさいごにも書きましたが、
布施行は「してあげるのではなく喜んですることがポイント」です。
それは、「見返りを期待する布施は布施ではない」
ということも、お経に説かれているからです。
そして、その「見返り」の中には感謝のことばも含まれます。
例えば車で対向車を「待ってあげた」時に、
相手が何食わぬ顔で通って行ってしまったとします。
そのときに、
「礼ぐらいすればいいのに」
「クラクションぐらい鳴らせばいいのに」
と思ってしまうことはないですか?
そうなると、せっかくした布施行が
イライラのもとになってしまいますね。
相手からのお礼という見返りを求めてしまうと
布施行にはなりません。
どうせ相手のために何かするなら、
布施すること自体を楽しもう、ということのようです。
人のために何かをしたくなる瞬間はきっと誰にでもあると思います。
その気持ちが浮かんだときには、
ぜひもう一歩進んで、
人のために何かをして、あなたの期待する反応がなかったとしても、
それでもその何かをしよう、
という気持ちで行うようにしましょう。
そのように思いを変えるだけで、その行動は、尊い布施行になるのです。
2014-09-16 09:00:00
少女サーヤのはなし
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
先週、六波羅密(ろくはらみつ)の第一、布施について、
布施とは金品を提供することだけではない、と
「無財の七施(むざいのしちせ)」を紹介しました。
今日は、少女サーヤのはなしを紹介します。
少女サーヤは幼くして両親を亡くし、
長者の屋敷に引き取られて働いていました。
ある日、孤独の寂しさに耐えきれず、一人で泣いていた時、
僧侶に出会い、サーヤはお釈迦さまの説法を聞きに行くようになりました。
ある日、夕食を終えた長者が庭を見ると、
サーヤが桶を持ち、草に向かって
「ほら、ご飯だよ、ゆっくりおあがり。」
と話しかけながら、桶の水をかけていました。
長者がサーヤに訳を聞いてみると、
「はい、お茶碗を洗った水を、草や虫たちに施(ほどこ)しておりました。」
「そうか、だが、施す、という言葉をどこで知ったのだい?」
「はい、お釈迦さまです。毎日少しでもいいことをしなさい、
と教わりました。いいことの中でも1番大切なのは布施だそうです。
貧しい人や困っている人を助けるために物やお金を施したり、
お釈迦さまの教えを多くの人に伝えるために努力することをいいます。
私は何も持っていないので、せめてご飯粒のついたお茶碗をよく洗って
そのお水を草や虫たちに施そうとおもったのです。」
感動した長者は、「お釈迦さまの説法の日には、仕事しなくても
いいから、朝から聞きに行っておいで」と言ってくれました。
それからしばらくして、長者はサーヤがとてもニコニコしている
ことに気づきました。いつも楽しそうに働いているのです。
長者が「サーヤ、なにかうれしいことでもあったのかい?」とたずねると、
「はい!私のようなお金や財産がまったくない人でも、
思いやりの心さえあれば、7つの施しができると、
お釈迦さまが教えてくださいました。
私にもできる布施があると知ってうれしくなったのです。」
サーヤは、笑顔でつづけました。
「私には、2番目の、和顔悦色施(わげんえつじきせ)
ができそうなので、一生懸命に、優しい笑顔をするようにしているのです。」
「そうか、ニコニコしていることは、そんなにいいことなのかい?」
「はい。暗く悲しそうな顔をすると、まわりの人もつらくなるし、
自分もみじめな気持ちになります。
苦しくてもにっこり笑うと、気持ちが和らいでくるし、
まわりの人も明るくなります。
いつもニコニコしようと決心したら、
親がいないことや、つらいなと思っていたことが、
だんだんつらくなくなってきました。
泣きたい時も、にっこり笑ってみると、
気持ちが落ち着いて泣かなくなるんです。」
黙って聞いていた長者は、胸が熱くなってきました。
「サーヤよ。そんなにいいお話、わしも聞きたくなった。
お釈迦さまのところへ連れていっておくれ。」
長者はそれ以来、一緒にお説法を聞き、
お釈迦さまの教えを広める「布施行」にいそしんだと言われています。
2014-09-09 09:00:00
無財の七施
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
早いものでもう9月ですね。
今日は先週に引き続き、お彼岸のはなしを書きたいとおもいます。
先週、お彼岸とは、到彼岸(とうひがん)のことだとかきました。
到彼岸とは、さとりの世界に渡ること。
その到彼岸するための方法として、六波羅密(ろくはらみつ)を紹介しました。
六波羅密とは、
布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、
精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)
の6つですが、
今日はその第一、布施について書きます。
布施というと、坊主が布施の話ばっかりしやがって、
と、お金を出すことだけだと勘違いされやすいのですが、
そうではなく、ボランティアなど、
人のために時間や労力を使うことも布施です。
今日は物や金品がなくてもできる布施が
「無財の七施(むざいのしちせ)」
としてお経に説かれているので紹介します。
一つ目が「眼施(げんせ)」
優しいまなざしで人を見ること。
二つ目が「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」
優しく喜んだ顔で人に対すること。
三つ目が「言辞施(ごんじせ)」
思いやりの言葉を施すこと。
四つ目が「身施(しんせ)」
労力の提供をすること。重い荷物を持ってあげるなど。
五つ目が「心施(しんせ)」
細かな心づかいをすること。
六つ目が「床座施(しょうざせ)」
疲れている人に寝床や座席を施すこと。席を譲るなど。
七つ目が「房舎施(ぼうしゃせ)」
宿舎や雨宿りの場を提供すること。
これらは、「してあげる」のではなく喜んですることがポイントです。
今週もまた講義のようになってしまいました。
来週は、この「無財の七施」にまつわるお話を紹介しようとおもいます。
2014-09-02 09:00:00
お彼岸・・・
カテゴリ : [火]お坊さんの1分説法
おはようございます。
今年の夏は雨ばかりで、もう秋がやってきそうですね。
仏教の行事でいえば、お盆が終われば次はお彼岸です。
(秋の)お彼岸は、秋分の日を中心にした1週間をいいます。
今年は、彼岸の入りが9月20日、
彼岸の中日(ちゅうにち)が9月23日(秋分の日)、
彼岸の明けは9月26日になります。
さて、少し気は早いですが、お彼岸まで、
彼岸のはなしを先取りで書いてみたいとおもいます。
彼岸(ひがん)とは、彼の岸(かのきし)という意味で、
あちらの岸、仏教でいうさとりの世界のことを指します。
それに対して、今われわれが住んでいる世界を
此岸(しがん)といいます。
此の岸(このきし)、こちらの岸という意味です。
(さとりの世界に対して、迷いの世界と言います)
仏教の目的は、さとりを得ることですから、
こちらの、迷いの岸(此岸)から、あちらの、さとりの岸(彼岸)に
渡ることをめざす教えです。
その、さとりの世界に渡ることを到彼岸(とうひがん・パーラミター)といいます。
お釈迦さまは、この到彼岸する、彼岸に至るパスポートとして、
六波羅密(ろくはらみつ)という実践方法を説いていらっしゃいます。
それは、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、
禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)の6つです。
布施とは、自分の労力や金品、真心などを他人のために役立てること。
持戒とは、決まりごとや約束を守ること。
忍辱とは、苦しさや腹立たしさを抑えて心の強さ優しさを養うこと。
精進とは、自分の責務に励み常に努力すること。
禅定とは、静かに自分を反省し、心身を安らかに落ち着かせること。
智慧とは、物事を正しく見て、真理を見極めること。
つまり正しい判断力を身につけること。
この六波羅密は、お互いの幸せのために共存、共生していく
最良の手立てとしてお釈迦さまが示されたものです。
と、すこし講座のようになりましたが、
記憶のどこかに置いていただいて、
次回もこの六波羅密について書きたいとおもいます。
2014-08-26 09:00:00