おはようございます。
先日、私の先輩が「今、逆境に立たされている」
と言っていました。
その時に、
「逆境というのに何か仏教的にいい話ないか?」
と聞かれたことがあります。
私は、仏教の基本は「こだわるな」ということですから、
仏教には、順境も逆境もないんじゃないか
と答えたのですが、
その後よく調べてみるとやはり、
「逆境(逆縁)」とは仏教でも使われることばで、
「自分の心に反する境界(環境)」
という意味があるそうです。
(念のため、「順境も逆境もない」という考え方も
空思想のなどにはあります。)
人は、順境の時にはほっといても誰でもうまくいく。
けれど、逆境の時にこそ、その人の真価が問われる。
と言われます。
なにかピンチに陥った時、
そんな時こそその人の「人となり」が現れる、というわけです。
仏教らしくない言い方でいうと、「がんばりどころ」です。
さて、反対に、逆境の人に出会った時にも
おそらく人間性というものが現れるのではないでしょうか。
『天使経』というお経があります。
ある人が寿命を終え、閻魔(えんま)さまの前に立ちます。
裁きを受けるわけですが、
「おまえは、どうして自分の生き方を改めなかったのか。」
と問われます。
「何人もの天使に出会っただろう?
その天使の導きによって、どうして人生をよりよくしなかったのか。」
「いえ、私は天使などには出会っておりません。」
「あなたの前に、生老病死の苦しみを抱えた者はいなかったか。
彼らが天使なのだよ。」
「苦しみを抱えた彼らに出会い、
あなたは生き方を改める機会がいくらでもあったはずだ。」
と、かなり意訳ですが、
生老病死などの苦しみを抱えた人を「天使」と見る
お経があります。
逆境に立たされている人を天使と見て、
自らを省みることもできる、という話をさせていただきました。