おはようございます。
前回に引き続き、「いいこと、わるいこと」シリーズを
もうすこし書こうとおもいます。
先週、「わるいことをやめて、いいことをしよう」
と思っても、それはなかなか難しい、
という話をしました。
今日は、「じゃあどうやっていけばいいのか」
ヒントとなりそうなエピソードを1つ紹介します。
ある時、おしゃかさまが、弟子に質問をなげかけました。
「世の中には、同じくらいわるいことをしても、
極楽(なじみのない方は天国と読みかえていただいてかまいません)
に行ける人もいれば、地獄に落ちる人もいる。それはなぜか?」
すぐに答えられる者はいなかったそうなので、
今わかった方は、おしゃかさまの弟子より上かもしれません!
おしゃかさまは、たとえ話をはじめました。
「ここに、一握りの塩がある。これを、コップの水に入れると、その水はどうなるか?」
「それは、塩からくて飲めません。」
「では、同じ一握りの塩を、ガンジス川の中に入れると、ガンジス川の水はどうなるか?」
「何も変わりません。
・・・そうか!わかりました。」
となったそうですが、お分かりになったでしょうか。
このたとえでは、塩は「わるいこと」、水は「いいこと」を表しています。
ちょっと(コップの水ほど)しか、いいことをしてなければ、
わるいこと(塩)の割合が大きすぎて、地獄に落ちてしまう。
けれど、たくさん(ガンジス川の水ほど)のいいことをしていれば、
わるいこと(塩)が少々あっても、極楽に行くことができる。
「わるいことをするな」
「いいことをしなさい」
と書きました。
両方できるのが一番いいですが、
これはやってはいけない、あれはよくないことだ、と
「わるいことをしない」よう、がんじがらめになってしまうよりは、
どうしてもわるいことだってしてしまうのが人間です。
仮に少しくらいわるいことをしたとしても、
それを補ってあまりあるくらい「いいことをたくさん」すればいいんだよ、
ということを、おしゃかさまは教えているのではないでしょうか。